スタニスワフ・レム 宇宙飛行士ピルクス物語

国書刊行会から「スタニスワフ・レム・コレクション」の第2期が今月から刊行されることになった。レムファンの私としては喜びのあまり、おさらいではないけど「ソラリス」「虚数」それにこの「ピルクス」と続けて読んでしまった。

「宇宙飛行士ピルクス物語」はその名の通り宇宙飛行士のピルクスという人物を主人公にした10の短編が収められた短編集。レムの連作短編では「泰平ヨン」シリーズが有名だが、あれがドタバタの滑稽譚の体裁で書かれているのに対してこちらはシリアスでよりリアルな内容だ。とはいえ書かれた時期から言っても今読むと小道具とか用語がなかなかのレトロフューチャーぶりなのだが、内容そのものは今読んでもとても面白い。ちなみに私が持っているのはハヤカワの「海外SFノヴェルズ」から出ていた深見弾訳のハードカヴァー版。最近出た文庫版は大野典宏の手が入った「改訳版」なのでお勧めしない。

冒頭に置かれた「テスト」ではまだ訓練生のピルクスが初の単独飛行テストに挑む。ところが宇宙船内に2匹のハエが忍び込んでいたためにピルクスは危機に陥ってしまう。「パトロールではパトロール船がパイロットごと謎の失踪を遂げる事件が二回も起きたあと、同じ宙域にパトロールに出たピルクスだったが、謎の飛行物体を発見。追跡する事になる。「アルバトロス号」はピルクスが乗客として乗船していた客船タイタン号が、アルバトロス号の事故の知らせを受けて救助に向かうことになるが…という感じで、この最初の3作はかなりストレートなSFなのだが、この3作と後の7作はかなり違ってきて、サイバネティクス的な感触が強くなってくる。

以前事故で乗組員全員が死亡した船に乗り組んだピルクスに死者たちの会話が聞こえてくる「テルミヌス」。これは「短編ベスト10」にも収録されていた。月の裏側の基地で起きた死亡事故の真相を暴く「条件反射」、暴走して破壊の限りを尽くすロボットを阻止するために月面上で作戦行動をとることになる「狩り」はクールな月面描写が見事。大気がない月面では日が当たっている部分はギラギラ真っ白に見え、影の部分は大気による光の散乱がないので真っ黒になってしまう。当然音もないのだが、そのイメージが文章だけで実感を持って見えてくる。レムの作品の中でこれほどリアルな描写のものは他にないのではないだろうか。

失踪したロボット、エンネルを追ってなぜか山岳小説になってしまう「事故」、異星人の船としか思えない謎の物体に遭遇してしまう「ピルクスの話」、そしてアンドロイド航宙士の評価をすることになるというシチュエーションで、この作品集中白眉の作品と言っていいだろう、映画化もされた「審問」。これはまず作品冒頭で何が起こったか明らかにされたうえでピルクスの話が始まるという独特の構成を持っているのだが、この事件がなぜそういう結末になったのかきわめて論理的に明らかにされていく。書こうと思えば誰がアンドロイド(もちろんレムはそんな用語は使わない。ここではアンドロイドのことを「非線形体」と呼ぶ)なのかを推理するSFミステリの体裁で書くことも可能だっただろう。そうではない書き方を選んだこと自体がまさにレムだなあ、と思う。

そしてラストは火星に墜落した10万トンクラスの大型船「アリエル号」の事故の真相を暴く「運命の女神」。10作いずれも傑作だ。どの作品についてももっと語りたい。

この後ピルクスは土星の衛星タイタンのバーナムの森でディグレイターの事故に遭う。「大失敗」の主人公が彼かどうかは明らかにされない。