スタニスワフ・レム 短篇ベスト10

レムの短篇から母国ポーランドでの人気投票の結果選ばれたものを集めた作品集。10作中9作は既訳だが、収録されてるのは全て新訳である。という事はほとんどの作品がすでに旧訳で読んでいたものだったので、購入時にちゃんと読んでないものがいくつかあった。今回再読。以下一作づつ。

「三人の電騎士」は『ロボット物語』からの作品。氷の星の宝石を強奪しようとやってきたロボット騎士たちがそれぞれ敗れ去るのを描いた、滑稽で、ある意味童話のような教訓的な要素もある作品。

「航星日記 第21回の旅」泰平ヨン(ここではイヨン・ティーへ)が二分星という惑星の修道院で院長と交わす宗教談義。この星では科学と宗教の発展からグロテスクで異形な人間を生み出していくが、ラストの改宗談義が凄い。電子化された人々は記憶が一瞬で書き変わってしまうのだ。そう現代のコンピュータのように。1971年にこんなことが書けたとは、今更ながら驚きだ。

「洗濯機の悲劇」「A・ドンダ教授」の2作は『泰平ヨンの回想記』収録の作品。「洗濯機...」は家電メーカーの多機能付加型洗濯機開発競争が高じて世界を揺るがすスキャンダルに発展する話。機械と人間の境界はどこかをドタバタの中で考察するなかなか哲学的な作品。「ドンダ教授」は情報爆発というカタストロフィが起こる話だが、情報爆発で様々な産業が失われた世界は、どこか今のコロナ禍の世界を思わせる所があるように思えてしまう。

「ムルダス王のお伽噺」「自励也エルグが青瓢箪を打ち破りし事」は『ロボット物語』からの作品。反乱に疑心暗鬼になって街中を自分の端末にしてしまったムルダス王の話と、人間に奪われた王女の鍵を勇者たちが取り戻そうとする話。ロボットたちを主人公にいかにもな昔話のフォーマットで語る滑稽譚。オチもバッチリ。

「探検旅行第1のA (番外編)あるいはトルルルの電遊詩人」は『宇宙創世記ロボットの旅』から。トルルルはコンピュータ詩人(電遊詩人)を作り出すが、これが暴走するというもの。レムの短篇によくあるパターンだが、詩に特化している点が面白い。しかしこれ、詩を翻訳するだけでも大変だろうな。

「航星日記 第13回の旅」賢人オー師に会うために宇宙を旅していた泰平ヨンは、誤認逮捕されてピント星へ。そこでは専制政治のもと人類が魚類化を図っていた。ほうほうの体で逃げ出したヨンは今度は個人が存在しないパンタ星に囚われてしまう。共産主義への皮肉が効いた作品だが、これ1957年の発表。当時のポーランドで発表して大丈夫だったのだろうか?。逆に資本主義を揶揄した作品(第26回の旅)もあるそうなのだがそちらは現在は封印されてるとか。

全くの余談だが、この作品集では「航星日記」は関口時正氏で一人称が「私」、「回想記」は芝田文乃氏の翻訳で一人称が「吾輩」になっている。私は旧深見弾氏の翻訳でこの作品に馴染んでいるので「私」は違和感大。と言うか「私」では重くなりすぎて読みにくい気がするのだがどうだろう。そう言えば以前早川文庫から「航星日記」が深見弾氏の翻訳を大野典宏氏が「改訳」したという体のものが出たが、それは「改訳」と言いながら一人称を変更された物だった。これはもはや改竄レベルの暴挙だと思う。一人称の変更というのは作品全体を書き換えたに等しいと思う。深見氏がなぜ「吾輩」という一人称を選んだのか大野氏は考慮しなかったのだろうか?著作権継承者でありながら深見氏の訳業に対する敬意はないのだろうか。なぜ「新訳」としなかったのか全く理解できない。

「仮面」突然意識を持ち、そのまま王宮の舞踏会に臨んだ女性「私」はそこでアルロードスという貴族の男性と恋に落ちるのだが...なんて物語を普通にレムが描くわけもない。途中で「私」は怪物に変身し、自分がアトロードスを暗殺するために生み出された怪物だということを知る。ゴシックホラーとサイバネティクスと宗教が入り混じる怪作。これは連作に属さない独立した短篇で、レムの全作品中でも珍しい、いや唯一かもしれない女性一人称の作品でもある。

「テルミヌス」『宇宙飛行士ピルクス物語』からの一作。年代物の宇宙船の船長として火星に向かうことになったピルクスは、その船がかつて遭難して乗員が全滅した「コリオラン」号が改修を受けたものだったことを知る。ピルクスは船内で、事故当時から配備されていた補修用ロボット、テルミヌスを発見するが...
これは1番SFらしい作品。よく考えるとゾッとするような展開と、冷やっこいラストがレムらしい。宇宙飛行の描写が極めてリアル。

というわけで非常にクールな短篇集。まあでもこういう選集でなく、本当はシリーズ物もそうでない物も全部読みたい。レムコレクション第2期が9月から刊行されるという話だが、どんなラインナップになるのか楽しみだ。