フェルナンド・イワサキ 悪しき愛の書

1961年生まれのペルーの日系人作家、フェルナンド・イワサキの作品。

作者自身が9歳から23歳までに経験した10回(11回かも)の失恋を、それぞれ短編小説として描いた連作短編風長編小説。それぞれの作品には基本的には直接のつながりはないが、以前の作品に登場した友人や親戚が後の作品にも登場したりする程度の緩いつながりがあり、最後まで読むとこれまでの失恋を総括するくだりもあって、やっぱりこれは長編なのだと納得する。

単なる間抜けな非モテ男が主人公のユーモア小説と読んでいいのだが、しっかり政治や宗教、文学など文化的な事、それと作品の舞台になる1970~80年代頃の流行など時事まで非常に多岐にわたる話題が描き込まれている。様々な文学作品や映画などの内容に触れながら物語が語られる。同じようなアプローチをすることが多い村上春樹みたいなもったいぶったり深刻ぶったところは一切なく、楽しくすらすら読めてしまう。たとえばボルヘスへの言及がたびたびあるのだが、ボルヘスという天下の奇人を引き合いに出しながらも書かれている内容はどうやって彼女と仲良くなるか、それだけという潔さ。主人公が『出発点からすでにモテ男』という前提の村上春樹とは、主人公の見ている世界が全く違う。

愛した女性に次から次に振られる様は滑稽で、ああこいつ間抜けだなあと思いながらも、同世代の大抵の男性ならああ自分も(多かれ少なかれ)若い時こんなだったなあと共感するだろう。そして彼が最後にたどり着いた解は、自分がモテないのは相手が男性にはこうあってほしいと思う理想に合わせて、自分とはかけ離れた者になろうとしてばかりだったからだという、なんとも当たり前の事だった。そしてそれに気づいたときにやっと愛する女性に巡り合ってエンドなのだが、その当たり前加減が新鮮だ。

今日本の小説やコミック作品には様々ないわゆる「ラブコメ」がある。しかしリアリティがないものが多い。例えば存在感ゼロでクラスの誰もが、彼がいることにさえ気づかない男子に一人やたらに絡んでくる美少女、という「久保さんは僕を許さない」というコミックがある(現在アニメ化もされているようだ)。これはありえなさという点でもう妄想レベルの作品だ。皆さんも知っての通り、人生において、もらい事故みたいにして美少女にモテるなんてことはまずない(全くないとは言わない)のだ。モテてる奴はなんかどこかで努力している。だから「ラブコメ」はなんとかしてモテようとしてあがく主人公を描かないとリアリティがないのだ。だからマジメなラブコメであるこの「悪しき愛の書」を、アホみたいな日本のラブコメに飽きた皆さんに是非お勧めしたい。

こんな作家がいたのは知らなかった。しかし邦訳が他に一冊しかないみたい。他の作品も読みたい。

海外ではすごく高く評価されてるらしいのでそのうちノーベル文学賞取るかもしれないな。