カズオ・イシグロ 日の名残り

日経英国人のノーベル賞作家カズオ・イシグロの長編小説。アンソニー・ホプキンス主演で映画化もされている。

英国の名家の屋敷ダーリントン・ホールの執事スティーブンスは短い旅に出る。美しい田園風景の道すがら、彼の胸中には様々な思い出がよぎる。 戦前から戦後へと至る時代の変遷を主人のダーリントン卿に従って見つめてきた執事。やはり執事だった父や女中頭のミス・ケントンとの関係を織り込んで完全な一人称で、かなりスローなテンポで描いている。

そのきめ細かい描写が見事で、私たち日本人にはあまりなじみのない世界のことが書かれた作品である上に、上にも書いたようにかなりスローなテンポで物語が運ばれるにもかかわらず引き込まれてぐんぐん読み進められる。

この作家の作品でよく言われることは、語り手が自分に都合の悪い事は書いてない、いわゆる「信頼のおけない語り手」であるという事。この作品でも父やミス・ケントンとの関係やダーリントン卿のことなど、何が起こったのか、語り手自身が何を感じどう思ったのか明らかに意識的に書いてない部分がいくらもあり、そのせいか何かモヤモヤしたまま読み進めることになる。

そうしてラストで語り手は夕日を見つめながら自分の人生で何一つ「選ばなかった」ことに思い至り滂沱の涙を流す。執事スティーブンスが自らの心情を吐露するのはここだけだと言ってもいい。そこはちょっと感動しちゃうんだけど、その直後、新しい主人のためにジョークの練習をしようと決意して終わる。

全く英国執事ってやつは、食えない。

山尾悠子 山の人魚と虚ろの王

山尾悠子の新作。国書刊行会から先日発売され、その美しい装丁に度肝を抜かれながらも作品の短さを考えるとなかなかの高額書籍だが思い切って購入。

若い妻との新婚旅行に出た「私」は妻の伯母の訃報に触れ、夜の宮殿の観光を経て叔母の葬儀に向かうが...と簡単に言えばそういう物語なのだが、山尾作品ではストーリーは大して意味はない。とにかくディティールとそこに含まれるイメージの深さがすごい。レトロな雰囲気で昭和(それも昭和3~40年代の)テイストが感じられるのだが、日本の話だと言い切れない(そもそも「女王が住む王宮」など日本にあるわけない)し、途中で「プロジェクション・マッピング」などという言葉が出てきて驚かされたりもする。そういう無国籍・無時代性がこれもこの作家の持ち味だと思う。

語り手の「私」が事故で昏睡中だという話も出てきて、それこそ夢か現か、謎ばかりの作品だが、語り手の男性は「歪み真珠」収録の短編「夜の宮殿の観光、女王との謁見つき」の「私」で、その妻は「ドロテアの首と銀の皿」の語り手の姪トマジである(と思われる)。さらにこの「ドロテアの首...」という作品自体が「ラピスラズリ」と同じ冬眠者一族の物語なのだからこれまでになく過去作を意識した作品であることは間違いない。

いつもながら極めて濃度の高い描写が持ち味で、短い作品だが極めて濃密な世界を味わうことになる。 ファンは必読。でも山尾作品を初めて読む人はイメージの飛躍についていけない人もいそうで、あんまり薦められないかも。

須賀敦子 ユルスナールの靴

須賀敦子全集第3巻の「ユルスナールの靴」の部分を読了。

これはこれまでの作品とは少々趣が違う作品で、須賀さんが敬愛してやまないフランスの作家マルグリット・ユルスナールの人生と須賀さん自身の人生を重ね合わせたようにしてして書かれた9作(プラス「あとがき」)の連作エッセイである。そのせいかこれまでの作品に比べてやや硬質で読みにくい感はあると思う。

当然ながらユルスナールの作品がいくつか出てくる。「アレクシス」「ハドリアヌス帝の回想」「黒の過程」などなど。かつては邦訳があったのだけどそのどれもが今や入手困難。私も全く読んだことがない。なので須賀さんがいくらユルスナールの作品について語ってくれても実際に作品が読めないのでは須賀さんがユルスナールの作品のどんなところに惹かれ共感したのかよくわからない。自分のことを語る部分とユルスナールの行状を語る部分が交互に登場してくるような内容なのだが、前者のいつもながらの生き生きした文章に比べて、ユルスナールについて書いた部分はどうしても報告書みたいな硬さが残ってしまう。

というわけで新境地に挑戦した意欲作であることは認めるが、私は須賀さんの作品の良さは技巧を感じさせない自然体の文章だと思っているのだが、これは技巧が表に出てしまって須賀さんの作品としてはちょっと頭でっかちになってしまったような印象を受けた。

天気の子

新海誠の2019年公開の最新作。やっと観た。

最近のゲリラ豪雨とか異常気象をネタにした発想はお見事。相変わらずの美しい映像には息を飲む。でもこれまでの作品同様シナリオはテキトーで、一番の問題点は主人公帆高がなぜ家出してきたのか、ヒロイン陽菜はなぜ弟と二人暮らしなのか全く語られない事だ。この点だけでこの作品は全くリアリティが欠けてしまう。別に帆高は普通に親とけんかして家を出てきたでもいいし、陽菜は父親と住んでてもいいと思う。親がロクデナシで貧困してる家庭は別に珍しくないが、子供二人で住んでいるのはあり得ない。前作「君の名は。」同様ヘンな歌が挿入されて気持ち悪いところもマイナス。結果的には自分たちの恋愛をほかのすべてよりも優先した(結果東京は水没)というなかなかの中二病ぶりな決着なのだが、二人の関係が世界のありようにかかわってくるという意味では完全に一昔前に流行した「セカイ系」そのもので、「もともとは東京は海の中だった」「もともとが狂った世界」とか言って主人公たちの責任を軽く見せるのは卑怯だと思う。

観てる間はまあ子供っぽく感動しちゃうんだが、よくよく考えるとそんなこんなでいろいろと歪んでいる作品だなあと思わずにはいられない。それとどんなに雨が降ったからって東京水没するのか?

というわけで今作も映像の美しさ以外にはほとんど見るとこないかな。

あと声優が…本田翼をキャストしたやつは責任取れ(笑)

ケン・リュウ 紙の動物園

作者は中国系アメリカ人SF作家。これは新書版の「ハヤカワSFシリーズ」で出ていた同名の短編集から7作を収録した短編集。

いやこれは素晴らしい。特にアメリカ人男性の父のもとに身売り同然にして嫁いできた母への複雑な感情を描いた表題作と、1961年の台湾を舞台にアメリカ人少女と現地の男性とその孫との交流を描く「文字占い師」は秀逸。他の作品もどれもレベルが高い。中国からの移民を審査する審査官の話「月へ」、紐を結んで文字を書く特殊な文化を持つ村人が現代社会に直面する「結縄」、AIの開発がテーマで、テッド・チャンっぽい「愛のアルゴリズム」などどれも読みごたえがある。どの作品も中国という自分のルーツをしっかり正視したうえで文学的に高いレベルに昇華していると思う。オビに「いまいちばん泣ける小説」という謳い文句があるが、泣ける小説というようなレベルの低いものではなく、感動と同時にアイデンティティとか人種的偏見とかの近代的な問題を含む様々なことを考えさせられる作品だと思う。

もともとの作品集からこちらはSF色の弱いものをセレクトしてあるらしい。もう一冊「もののあはれ」というのが出ていて、そっちがSF色の強いものを集めているらしい。こちらもぜひ読んでみたい。

ここに収められた作品はどれも純文学の範囲内の作品で、SFの要素はほとんど感じない。ハヤカワの青背なのでSFに興味ない普通の本好きの人は見逃してるのでは?そういう人にぜひ読んでほしい。

又吉のオビが個人的にはアレだけど笑

劉慈欣 三体

最近SFファンの間で何かと話題の中国SFの大ヒット作。古本屋で見かけてつい買ってしまったのだが読んで後悔している。だって続編買わないといけなくなっちゃった。

物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)。失意の日々を過ごす彼女は、ある日、巨大パラボラアンテナを備える謎めいた軍事基地にスカウトされる。そこでは、人類の運命を左右するかもしれないプロジェクトが、極秘裏に進行していた。数十年後。ナノテク素材の研究者・汪(ワン)ミャオは、ある会議に招集され、世界的な科学者が次々に自殺している事実を告げられる。自殺者の中には葉文潔の娘、楊冬(ヤン・ドン)もいた…

というとっかかりで始まるこの作品はファースト・コンタクトもの、サイバー・パンクもの、ディザスターもの、宇宙戦争物の要素も含んで、最近のSFというと変化球だらけの中で逆に異彩を放つ王道ぶり。あまりに面白くてあっという間に読んでしまった。

面白いのは認めるが、いくつも疑問がある。作品自体としては登場人物が誰もかれもあまりにテンプレで、感情移入できる人物がいない点と、文潔の決断(「返信」の件も「殺人」の件も)があまりにも軽率すぎるように思える点がまず気になるが、SFファンというより宇宙ファンの私としては、まずアルファ・ケンタウリについての記述が事実と違う点が気になった。

アルファ・ケンタウリは確かに三重星だが、太陽よりも少し大きなAと太陽より少し小さいBが80年弱の周期で10~40auの距離で回りあっている。もう一つのCはプロキシマ・ケンタウリと呼ばれる赤色矮星で、AとBから0.2光年(15000au)も離れて公転している。アルファ・ケンタウリCの、AやBに対する影響はかなり小さい。連星系のただなかの惑星は不安定になるだろうし、生命を育むには酷な環境になるだろうとは思われるが、作中で語られるような三体問題にはならないのだ。さらにある時は惑星が分裂してしまうような現象が起こるが、その後9000万年で文明が復活したとあるが、惑星が分裂するような天変地異が起こったらその惑星は完全に不毛の地になるはずで、1億年もたたないうちに文明が戻るとかありえない。それどころか生命圏すら戻らないだろう。

太陽が電波を増幅する話も、そんなことあるかい!という感じだ。そういうめちゃくちゃを前提に話を進めるあたりが日本人やアメリカ人にはとてもできっこない。三千万人を整列させて作った人間コンピューターのくだりなんかも、さすが中国人の発想だと感心した。

まあでもとにかく単純に面白い。21世紀にこんな単純なSFがあるなんて、とある意味感動しながら読んだ。続き読まなきゃ。続編「Ⅱ・黒暗森林」は上下巻で発売中。2冊買ったら4000円だ。「Ⅲ」は今年発売の予定だって。

ジャック・ヴァンス 殺戮機械

 ジャック・ヴァンスのSFミステリ「魔王子シリーズ」第2巻。今回のターゲットは「殺戮機械」の異名をとるココル・ヘックス。ある男性を奪回する任務でココル・ヘックスと近い人物と接近しながら逃してしまったガーセンは究理院の大物に誘拐された子供の救出を依頼される。「圏外」には誘拐された人物を金銭と引き換えに引き渡す「交換所」なる施設があり、子供の救出のためにそこを訪れたガーセンはココル・ヘックスが100億SVUというとんでもない高額が設定されたアルース・イフゲニアという女性を手に入れようとしていることを知る。

ヴァンス節は今回も快調。いくつかの惑星が登場するがそれぞれ独特の風物が描きこまれてさすが。最後に登場する伝説の星サンバーは中世の「剣とファンタジー」っぽい世界で、もっと濃厚に描いてもよかった気はする。ミステリとしては悪役として登場してきた登場人物がほとんど全員同一人物という驚きの展開。でももしあの人があの人ならそんなに手をかける必要もなく、黙っててもアルースをものにできたような気もする。

中盤で交換所に放り込まれたガーセンが自分を助け出し、ついでにアルースを受けだしてしまう方法がすごい、というか呆れる。なんと偽札を作って支払ってしまうのだ。キャッシュレス決済が当たり前になった現代では全く考えられない方法だともいえるが、「圏外」のような無法地帯では逆に現金でないと信用されないのかもしれない。ほかにも昔のSFならではの古くさい部分がたくさんあるが、それはそれ。面白いことは間違いなし。ハヤカワさん復刊して。