ドラマ「百年の孤独」

Netflixで配信されたドラマ「百年の孤独」。2014年末に第1シーズン8話が配信され、この8月初めに第2シーズンのうち7話が配信されていたが8月26日に最終回が配信されてついに見終わった。

原作は一昨年文庫化されベストセラーになったので読まれた方も多いとは思う。文庫で600ページ強という長編ではあるのだが、普通の小説ならドラマ化すればせいぜい6~7話で終わりそうな分量。これまでのネトフリドラマ「クイーンズ・ギャンビット」や「リプリー」あたりも大体長編小説一冊をそのくらいの分量でドラマ化という場合が多かったと思う。 しかしガルシア・マルケスという作家は小さなエピソードを積み上げていくのが特徴。この作品もそれぞれが短編小説になりそうなエピソードがこれでもか、というくらいに盛り込まれている。それをかなり忠実に映像化しているのでトータル16時間に及ぶ濃密な映像になった。細かいエピソードの配置が原作とは違ったりはしているが内容的には原作と同じで、さすがに制作者がガルシア・マルケスの孫というだけの事はある。

小説はあまりにもエピソードの洪水なのもあり、馴染みのない南米の情景が掴みにくい面があるので視覚的にドラマで見ると作品の理解も進むと思う。小説ではホセ・アルカディオ、アウレリャノ、レメディオスと同じ名前の登場人物が数世代にわたって繰り返し登場して混乱するがドラマでは当然別の俳優さんなのでそういう混乱は起きないのもいい。ドラマ独自のアレンジとして別短編のヒロイン、エレンディラが出て来たりもする。

子役やティーンエージャーの時は別として、ひとりの役者さんが若者時代から老人まで演じている場合もあり、特にウルスラは40歳くらいから最後は120歳くらいまでMarleyda Sotoさんという女優さんが演じているのだが、その全く自然な老けメイクも驚異的。

 屋敷が水浸しになったり、ラストで風に消えるマコンドの表現など映像的にもすごい。どんだけお金かかってんだ。 いやーすごいもん観た。

ブッツァーティ シチリアを征服したクマ王国の物語

孫1号の誕生日に用意した誕プレ本。今年はイタリアの作家ブッツァーティの「シチリアを征服したクマ王国の物語」。

 2年生の孫は図書室の常連で司書の先生に顔を覚えられてしまうくらいの本好きに育ってしまった。 最近は普通の子供向きの本はもちろん小学生向けのラノベっぽい本とかまで結構色々読んでるみたいで、もうさすがに絵本でもないだろうけど、小学校低学年でも読めそうなそこそこしっかりした読み物を、と思って探すと適当な本がなくて結構難しい。 市内にはあまり大きな書店がないので、隣町まで遠征してこれを見つけて購入。ブッツァーティは以前いくつか読んでいて大体どんな感じかわかってはいるけど、この作品自体は読んだことないので孫に渡す前に一読。

これはシチリア島のクマたちが山の食べ物が少なくなったので人間の街に食べ物を探しに来て、人間の支配者で強欲な「大公」と戦いを繰り広げるというお話だ。現代、極東のどこかの国で同じようなことが起こってるが、まあそれは置いといても挿絵も充実、イタリアの作品らしいひょうきんさがあってとても面白く読んだ。

冒頭の登場人物の紹介のページから(クマだけに)人を食ってて面白い現代日本でもクマ公たちが強欲で狡い国家元首を倒してくれればいいのにとか思っちゃう(笑)。

イタリアではすごくポピュラーな作品なんだそうだ。 ちなみに実際にはシチリア島にはクマは現在も過去にも生息していたことがないのだそうだ。

200ページ近い作品だし、これを読み終わったら達成感もあると思う。孫も楽しんで読んでくれたらいいな。

しかしこの本がたったの715円というのもすごい。

谷甲州 航空宇宙軍史・完全版 第2巻

前巻に引き続きの第2巻。第1次外惑星動乱がいよいよ開戦。第2巻は外惑星連合と地球・月連合側の航空宇宙軍との熾烈な戦いがクールな筆致で描かれる。

この作品では宇宙船の機動がめちゃくちゃ科学的・リアルに描かれていて、そもそも宇宙艦隊同士の戦闘自体大変難しいことが描かれる。 「火星鉄道一九」「巡洋艦サラマンダー」の2短編集を収めてある(ので500ページ強のボリューム)がどの短編を読んでもリアルな戦闘描写(というか戦闘に足らない場合も含めて)が見事。しかも各短編は常に一ヶ所(艦内の戦闘司令室とか、艦隊旗艦の作戦本部とか)の密室劇になっていて読者には敵の意図は全くわからないように書かれている。これによって絵的には全く退屈な宇宙空間での戦闘が緊迫感を持って描かれる。

どの短編も面白いのだが、「火星鉄道一九」収録の「どん亀野郎たち」と「巡洋艦サラマンダー」の表題作とそれに続く「サラマンダー追跡」は繋がった作品で、外惑星連合の虎の子の巡洋艦サラマンダーを航空宇宙軍が追い詰めていく一連の作戦を描いているのだが、最終的に派手なドンパチが起こらないのがミソだ。航空宇宙軍は多数の艦艇で単艦で行動するサラマンダーを包囲するのだが、宇宙では推進剤の量の関係などいろんな要因があって安易に軌道の変更ができずサラマンダーを追える艦の数が制限されるとか、中立国に逃げ込まれた場合の政治的な問題など様々な現実的な問題が起こる。

同等の艦艇を航空宇宙軍では「フリゲート」、外惑星連合では「巡洋艦」と称するのも面白い。現在の海軍でははっきりした規定はないがだいたい「巡洋艦」は1万トン以上の艦艇、「フリゲート」は3000トンクラスの艦艇を指すと思うので結構違うと思うのだが。あと宇宙なのに「巡艦」というのは違和感がある。「巡艦」にすべきだと思う。

推進剤を使いすぎると帰還できないとか、帰還するルートが限定されるので敵に捕捉されやすくなるなどよく考えれば宇宙空間では当然そうなるんだけど、そんなことを詳しく描写したスペオペは初めて読んだ。 非常に面白かった。第1巻よりだいぶ好き。 しかしこれ読んだらその辺のアニメやSFってなまっちょろ過ぎるよなあ。

キム・チョヨプ この世界からは出ていくけれど

前回読んだ「私たちが光の速さで進めないなら」がすごく面白かったので期待して読んだのだが、最初から期待値が高すぎたせいか前作を読んだ時ほどの感銘は受けなかった。もちろんどれも良い作品で全然悪くはないんだけど、前作と比べると今回収められた各短編はちょっとSFのギミックに凝ってるものが多かった印象。正直前作の方が好きだったかな。

冒頭の「最後のライオニ」は人類が宇宙に進出した未来の話の話で、人の住んでいない3420EDという居留地を調査することになった「わたし」。そこに住んでいるのはロボットたちだけだ。しかしロボットのリーダー格セルは「わたし」のことをライオニと呼び、やっと帰ってきてくれたと言う。やがてライオニとセルの、「わたし」とライオニの関係が明かされていく。いい作品なのだが、この作家独特の心地よいウエットさがちょっとSFの後ろに隠れてしまった感がある。

視覚に異常を持つモーグと言われる人々がいる世界。モーグの少女マリの希望で彼女にダンスを教えることになったソラはなぜモーグがダンスを?という疑問を抱きながらも次第にマリと心を通わせるようになるが…という「マリのダンス」もモーグという後天的障碍の要素がややSFよりな作品だ。

「認知空間」という作品では、人間がある程度の年齢になると認知空間という巨大データベースに接続して人類のすべての知見にアクセスできるという世界が舞台になる。しかし虚弱体質で認知空間にアクセスする権利を得れなかったイヴは認知空間の限界を主張していた…というお話。認知空間はインターネットの寓意なのだろうが、これにアクセスできないイヴはスタンドアロンの認知空間を作ろうとする。これもSF設定が先走った感が強い。

最後の「キャビン方程式」だけは未来や異世界ではなく現代の韓国・蔚山が舞台。事故で時間認知がおかしくなってしまった天才科学者だった姉。意識は明晰なままなのだが、人よりも脳内の時間の流れが遅くなってしまって生活が不自由になってしまい、世話をしてくれていた妹とも疎遠になっていた。ある日妹は姉からの指示で蔚山名物の幽霊が出ると噂の観覧車を訪れる。姉はこの観覧車の幽霊が物理現象であることを証明しようとしている…という話。この作品が一番好きかな。

私の勝手な好みで言えばもうちょっとSF味は薄くしたほうが好きかな。あと「この世界からは出ていくけれど」という作品集全体のタイトルがいまひとつ内容に合っていないような気がする。

スタニスワフ・レム/スタニスワフ・ベレシ レムかく語りき

ついに国書刊行会のレムコレクション第2期も完結。掉尾を飾るのはレムの対談集。レムが自分の人生や作品から、世界の情勢や哲学など様々なことについて語ったという一冊。

こういう本って大抵あまり面白くないんだけど、これはとても興味深くて面白く、650ページの大著だが思ったよりはるかに早く読み終わった。

ただし読者にも相当な知識を要求する本だ。第2次大戦中のポーランドの状況、世界の文学(ポーランド文学を含む)について、科学的な事柄や世界情勢、哲学についてなど、読者にも広範な知識が要求される。私も読みながらけっこうGoogleさんやチャッピーのお世話になったりした(笑)

そして何よりレムの著作、特に「ゴーレムXIV」と「泰平ヨンの現場検証」を読んでなければ話にならないのではないだろうか。 上に挙げた2作はレムを読むうえで全く欠かせない重要作品であることはもともとわかってはいたが、これを読むとそれが一層はっきりする。「ゴーレムXIV」は強力な人工知能ゴーレムが語ったものという体裁の作品だが、これにはレム自身が知力のすべてをつぎ込んで自身を超知性と定義して世界の問題に迫ったような作品だし、「現場検証」はエンチアという星のふたつの社会を通してこれまた違う角度から世界の問題に迫った作品だ。普通のSFでは伝えきれないと感じ始めたレムにとって切実な作品だったのだろう。

他の作家の作品についても触れられているが、80年頃に「SFはほとんど読んでいない」と明言している。そんな中でストルガツキーの「路傍のピクニック(邦題:ストーカー)」を高く評価して「私が書きたかった」とまで言わせているのはストルガツキーファンの私としてはとても嬉しかった。しかし翻訳の方に『ストルガツキーの作品で原題が「子供」という作品は「リットル・マン」の事ですよ』とだけは言っておきたい。

これ読んで思ったのはレムの小説以外の作品を読みたいなという事。レム自身小説では自分の考えを盛り込むのが難しいと感じていたと本書にも繰り返し書いてある。 考えてみればレムの著作で小説以外はこのシリーズ第1期の「文学エッセイ」と「挑発/二十一世紀叢書」くらいしか訳出されていないのではないだろうか。

昔サンリオSF文庫で「SFと未来学」「偶然の哲学」「技術大全」が発売予定されていたが立ち消えになったままだ。どこか出してくれないかな。

川端康成 みずうみ

先日病院で果てしなく待たされた間に読んだ。 戦後間もない時代。34歳の桃井銀平は復員後高校教師の職を得たが、教え子の久子と関係を持ってしまい馘になってしまった過去がある。そんな銀平の心象風景をプルーストばりの「意識の流れ」に沿って描いた作品。

この小説を簡単に説明すればこんな感じなのだが、それにしてもこの銀平という男、美しい女性を見かけると尾けて行ってしまわずにはおれないという異常な性癖の持ち主。相当ヤバい。今なら間違いなく変質者扱いだ。 そこに登場人物たちの不思議な縁が重なって多層的な作品である。

銀平はある日ある女性を尾行する。尾けられていることを怪しんだ女性・宮子は持っていたハンドバックを投げつけて逃げるが、そのバッグには20万円(現在の貨幣価値ならその10倍以上だろう)という大金が入っていた。しかし有力者の老人の愛人として暮らす宮子にはその金は、大金とは言え執着を覚えられないものだった。やがて銀平はある少女に出会い、彼女を垣間見ることを願うのだが、その少女町枝は宮子の弟の友人水野の恋人で...と人間関係が絡み合っていく(ただ銀平と宮子は最初のバッグを投げつけられた時以外は全く接点がない)。その中で銀平は教師時代に愛した久子と、子供の頃に憧れた年上の従姉やよいとの事を回想する。

まあとにかく私がいつも言ってるように川端の『人間嫌いで女好き』という特性がもろに出て、退廃的な面が押し出された怪作。 それを美しく印象的な文章で描いてしまう。銀平に嫌悪感を抱きながらも読み進めずにはいられないから始末が悪い(笑)

ただ冒頭の軽井沢でのトルコ嬢とのエピソードは全くその後の展開と関係がなく、構成としてどうなのかとは思った。

川端康成 掌の小説

川端康成賞受賞作家の堀江敏幸を読んだので、ちょっと読み返してみようと思い立って読み出した川端康成「掌の小説」。

ちょっとのつもりが読み終わるのに1ヶ月近くかかってしまった。

その名の通り短いものは2頁にも達さないようなものから、長くても7、8頁程度というの掌編小説を122作収めた一冊で、総頁数は550頁に及ぶ分厚い本。一作一作は短いんだけど、そのどれもが深い内容なのでいちいち考えさせられてなかなか読み進められなかった。

小説というより普段の暮らしのワンシーンを綴ったエッセイのようなものから、川端らしい一見人情ものに見えて実は冷やっこい物まで多彩な作品を収めていて、短いが故に何の決着もなく「えっそれで終わり?」みたいな終わり方をする作品も多くて、これはどう言う意図で書かれたんだろうと考え込むこともしばしば。

これ122作全部について語りたいくらい好きだ。私が日本文学の研究者だったらこの作品の研究に生涯を捧げたかも。

で、ここからは以前のブログからの引用。18年前に書いたものだが、今回の感想もほとんど変わらない。

 なにしろ122編もあるので印象に残った作品を挙げるだけでも大変である。たった2ページの、書簡の形で書かれた「金糸雀(カナリヤ)」、死んだ妻のこわばった死に顔を、思わず和らげてやろうとする「死顔の出来事」、売られていく娘に、恋人との一夜を許す母を描いた「有難う」、愛と死の奇妙なすれ違い「霊柩車」、少女と姉の愛人の盲人「盲目と少女」、少年と少女の幼い愛を描く「雨傘」、死んだ姉と恩師の思い出を語って冷たいイメージがほとばしる「足袋」、たった4ページの作品なのに、あたかも長編の冒頭のような強烈な情景描写を持つ「秋の雨」…こうやって一つ一つ挙げていくときりがない。

 読んでいくと、いくつかのパターンの作品があることに気づく。まず作者の思い出話のような私小説風の作品群がある。 これには少年時代の初恋の思い出をもとにしたものと、作家である「私」の目で見たものがある。「伊豆の踊り子」を思わせる、田舎の温泉宿などを舞台にした作品群、そしてこの作家独特の視点で女性を描写した作品群がある。夢とか死後の世界をテーマにした幻想的な作品もあり、連れ立って歩く老人と若い女を描いた異色の作品「不死」にはそこに描かれた死の幻想が怪しい美しさを放って魅力的である。

 川端のすべてがこの一冊に凝集している、と言われることがある。たしかにそうだ。この作家の魅力が詰まった素晴らしいショウケース的な一冊である事は間違いないと思う。だが、この作家をはじめて読む人には、少なくとも私は勧めない。名作と言われる「伊豆の踊り子」とか「雪国」あたりの名作を先に読んでから読むほうがいい。その方がこれらの作品への理解が深まるに違いないからである。また、1作が短い掌編小説だからと思って軽く見ると痛い目にあう。上にも書いたようにそれぞれの作品がかなりの重量感を持っていて、決して軽い読み物ではないからだ。