ルーシャス・シェパード タボリンの鱗

前回読んだ「竜のグリオールに絵を描いた男」の続編でシリーズの中編2作を収録。

表題作「タボリンの鱗」はタボリンという古銭商の男がたまたま手に入れたグリオールの鱗を触っているうちに一緒にいた娼婦の女性シルヴィアともども謎の未開の場所に飛ばされてしまう。どうやらそこはグリオールがまだ幼生だった時代らしく、その何もない未開の土地でサバイバル生活を余儀なくされる。やがて別にこの時代に飛ばされてきたグループと出会い、虐待されていた少女ピオニーを救い出すが…という物語。

最後の方でいきなり現代に連れ戻されるのがよくわからないが全体には非常に面白かった。 ラストではタボリンとシルヴィアが10年後くらいに再会するのだが、離れていたシルヴィアにはタボリンと、彼と親子のようにして一緒に暮らしているピオニーが全く理解できない。この冷やっこさがこの作家の持ち味だと思う。

もう一作の「スカル」はグリオールの死が確かなものになった後テマラグアという国(「グアテマラ」のアナグラムだろう)に売り飛ばされたグリオールの頭蓋骨。その国で、幼いころ自分を犯そうとした変質者を殺害したと噂されるヤバい少女ヤーラに恋をしたアメリカ人の男スノウだったが、ある日彼女は突然消える。アメリカに戻って普通の暮らしをしていたスノウはヤーラの噂を知ってテマラグアへ。ところがテマラグアは過激な独裁主義の政党PVOが影響力を強めていた。ある町でヤーラと再会を果たすが、PVOの実質的なボスであるヘフェに軟禁されてしまう。どうやらヘフェはグリオールの頭蓋骨から生まれた竜の末裔のようだ...

なんかヒッピーっぽい感じと中南米あたりのギャングや独裁者に支配されたヤバい社会情勢がミックスした、苦み走った作品。作者がグアテマラに住んでいたころの経験が生かされた作品だという事で、竜の子孫を寓意的に使った政治的な色合いが強い作品だ。最後にスノウはヤーラを連れてアメリカへ向かうが、それはひとつの地獄から別の地獄へ向かうかのようだ。

この連作、どれも普通ありがちなスッキリした決着がないのが良い。現実の生活でのエピソードも一応の決着がついてもそれで万事決着がつくものではない。サバイバル生活や恐怖の下での生活は終わっても、二人の関係は終わってないとかね。そういう所がとてもリアル。

あと一作、長編「美しき血」も楽しみ。

ルーシャス・シェパード 竜のグリオールに絵を描いた男

その昔魔術師によって封印された体長1マイルにも達する竜のグリオール。その体は歴史の流れの中で土地の一部となり、その周辺にはいくつかの集落もでき多数の人間が暮らすようになった。しかし彼は麻痺した状態で生きていて、しばしばその邪悪な意図で人々を操るのだった。 というプロットの連作短編が4作収録された短篇集。

SFという要素はない。ジャンルから言えばファンタジーなのかな?作品の前提となる設定が竜ではあるけど、いずれも人間が主題の作品なのでファンタジーはどうもという人にも面白いと思う。

表題作「竜のグリオールに絵を描いた男」は何十年もかけてグリオールの体に絵を描くことで殺そうとする画家の話。画家は作業の途中である既婚女性と懇意になるが、彼女の夫に追いつめられ殺害してしまう。夫の遺体は誰も探せない竜の体の危険な部分に遺棄され、画家が罪に問われることはなかったが、女性は去ってしまう。ずっと後、老いた画家は竜の瞳の前である少女と出会う。なかなか詩的な美しい作品。でも後の作品とはちょっと矛盾してる気もする。

「鱗狩人の美しき娘」は強姦されそうになってつい殺してしまった男の家族の復讐から逃れて竜の中で暮らすことになった娘の話。竜の体に住み着いたおかしな人々と共同生活をしながら竜の体の中を探索する日々を過ごす羽目になる。竜の中で10年も暮らすとかすごいな。最後の方は竜を出て人間社会に戻るのだが、竜のエキスパートみたいになってるのがリアルだ。

「始祖の石」は竜を殺そうとして新興宗教みたいなものを主宰する男が、信者でこの男におもちゃにされていた娘の父親に殺された殺人事件の犯人を弁護することになった弁護士の話。父親はこの殺しはグリオールの意図だと主張する。弁護士は父親の無罪を証明すべく娘の許を訪ねるが…謎解きはちょっと無理があるような気もするが、これが一番面白かったかな。前作のヒロインがちょっとだけ登場する。

「嘘つきの館」は竜が変身した女と暮らすことになった逃亡殺人犯の男の話。主人公もとんでもない奴だし、竜の女も思考回路が人間と全く違うところが面白い。まあいろいろと冷やっこい話。

どれもとても面白かった。 連作としては最初の作品と後の作品の辻褄が合わないけど、まあそんなことはどうでも良いかな。 続き2冊あるらしい。すぐ読みたい。

それにしてもこれ竹書房文庫っていうのから出てるんだけど、この文庫すごく面白そうなのが多い。値段が高いのがアレだけど、ちょっと注目していこう。

水谷周 現代アラブ混迷史

イスラエルハマスの戦闘はどんどん泥沼化していくばかり。毎日パレスチナ情勢のニュース見ては「いい加減にしろよイスラエル」と憤るのだが、イスラエルとアラブの対立の歴史についてちゃんと知っておきたいなと思い古本でこの本を見つけて読んでみた。

だが、これはイスラムについての本でイスラエルとの関係についてはほとんど書いてない。 この本を読んでわかったことはイスラム教というのがもともと政治にも発言力が強い、というか政教一体の宗教であるということ、そのため政教分離という民主主義では当然のことができず、昔の教王(カリフ)制の影響なのか独裁に拒否感がないということだ。

近代イスラム国家の歴史は独裁者の歴史だ。 イスラム各国の独裁者が紹介されているが、まるで独裁者の見本市だ。そうなったのももとをただせば第1次大戦後のオスマン・トルコの解体とカリフ制の廃止、そして英国の二枚舌外交によるイスラエルの建国といった様々な歴史的な失策があったからだと言える(もっともそれを言うならさらにずっと遡ってローマ帝国一神教キリスト教を認めてしまったことが今に続く対立の根底にあるとも言える。キリスト教が欧州世界を飲み込む一大勢力にならなければイスラム教自体発生しなかったと思えるからである)。

この本ではイスラムユダヤの対立についてではなく、イスラムという文化をどう捉えるべきなのか、イスラム各国に民主主義は根付くのか、という事を論じてある。まあ新書なので内容は薄い。書かれた当時と今では社会情勢も全く違う。このころ(2011年ごろ)はまだISもなかったわけだし。

というわけで、イスラム各国の独裁者列伝としては面白かったが他はあまり参考にならなかったかな。

ネイサン・ローウェル 大航宙時代-星海への旅立ち-

企業惑星ネリスに住み大学進学を控えた青年イシュメールだったが二人暮らしの母がある日突然事故死してしまう。母の扶養家族として住んでいたネリスを出なければいけなくなり、仕方なく船員として貨物宇宙船ロイス・マッケンドリック号に乗ることになる。

これってスペースオペラって言っていいのだろうか?普通SFと言うと、ほとんどの場合戦争をやってるかファーストコンタクトとかで宇宙生物の生態や宇宙人社会の驚異について語るものだが、この作品にはそういうものは全く出てこない。地球人が多くの星系に移民した時代の貿易船を舞台に、主人公が船員として成長し、個人貿易の才を発揮し出すという何とも平和な話だ。 個人貿易というのは各船員に許可された私物の重量の範囲で寄港地で買付したものを先の寄港地で販売して儲けるというもので、要は宇宙を舞台にした転売屋のお話。

しかしよく考えると、最初の星から次の星まで一ヶ月くらいで到着するわけで、それなら今欧米に船便で物を輸出するのと大差ない。相互の特産品の交易も盛んなはず。そこに個人輸入で持ちこんでも、関税や輸送料がかからない程度のメリットしかない。そういえば関税に関することは作中では説明されていない。普通なら寄港地ごとに細かい関税の規則や持ち込み禁止の品物のリストとかがありそうなものだが、そういったものはなく、個人貿易については船員の私物として目こぼしされているとしか考えられない。個人の自由にできる重量枠(10kg)が、船の巨大なキャパシティから考えれば驚くほど小さいのはそういう事なのだろう。

でも「ロイス・マッケンドリック商業組合」という組織として活動するのなら関税を逃れられないようにも思う。全体にそんなにうまくいくわけないやん。というのが正直な感想かな(笑)。まあそれでも斬新な切り口のSF小説ではある。

それにしてもなによこの邦題。全く内容と違うではないか。ちなみに原題は「Quarter Share」「四分の一人前」の意味だ(作中では「四半株」と訳されている)。ついでにカヴァー画も全く内容を反映していない。 早川書房最近こういうの多くないか?

ちなみに米国では続編が「Harf Share」「Full Shere」…と何作も出てるらしいが邦訳はストップしたまま。うーん続き、読まなくてもいいかなあ…

塩野七生 ローマ人への20の質問

BOOKOFFで100円だったので何の気なしに買った新書本。新書というと結構いい加減な本も多いのだが、これは「ローマ人の物語」という大著が有名な塩野七生氏がローマ帝国について対話形式でわかりやすく解説した本で、めっちゃ面白かった。

ローマ人の物語」は全く読んでないし、私のローマ時代についての知識といえば「ベン・ハー」や「スパルタカス」「グラディエーター」といった映画やドラマ「ROME」を見たくらいのものだったのだが、これを読んだらローマ帝国というのが理想の社会に近いことに驚かされた。

ローマ帝国というと周辺の国を次々に侵略し、敵国の人々を奴隷として使役しコロッセオで残酷なショーを楽しんだ野蛮な人々というイメージが強い。それは決して間違ってはいないのだが、実はローマ帝国は野蛮なだけな社会ではないのだ。

2000年も前の社会で女性の権利が、参政権こそなかったものの財産権を認められていたとか、武力で併合した敵国の文化を尊重したとか、驚くことばかりだ。ローマ帝国は併合した国の神を自らの神殿に加えていった。キリスト教以前のローマ帝国の時代の宗教は柔軟な多神教で、だれが何を信じようと自由だったのだ。だからこの時代には宗教紛争などなかった。このころ世界にあった一神教ユダヤ教というローカル宗教だけだったが、その後キリスト教イスラム教が派生した。これらはいずれも一神教で、自分たちの神以外を信仰することを許さない。一神教が人類に広まってしまったことが現代の人類の不幸の元凶になったのだと言えなくもない。もしローマ帝国が続いていて一神教を受け入れなかったら、今世界を揺るがす宗教対立もなかったかもしれない。人類はなぜ2000年前よりも不寛容になってしまったのだろう。

現代人としてとても悲しく情けなくなってしまう。ローマ時代の寛容で自由な社会こそが人類の到達すべき理想社会だったのかもしれない。「ローマ人の物語」読みたくなった。

小川一水 天冥の標Ⅹ 青葉よ、豊かなれ

ついに全17冊読み切った。長かった。

救世群との和平を成し遂げ、地球艦隊と共にカルミアンの惑星に到達したセレス。しかしその前に超銀河団諸族の連合艦隊が立ちはだかる。彼らはカンミアの女王オンネキッツが恒星を超新星化しようとしているのを阻止しようとしていたのだった...

というわけで最終巻は巨大宇宙戦争編。PART1では80歳の千茅率いる救世群が月へ進出するエピソードや、救世群のばらまいた冥王斑のパンデミックで人類社会の崩壊した後(第7巻「新世界ハーブC」と同じ時代から後)の太陽系が描かれたりするが、そのあとはカンミアの惑星を巡っての大戦争が描かれて行く。交渉のために超銀河団のリーダーアカネカに会いに行くのだが、このアカネカが植物的な種族だったり、金属でできた竜とか巨大な蛇のような種族とか超銀河団諸族の描写がまるで宇宙生物の見本市みたいな描き方も楽しい。正直宇宙艦の数が数億隻とかいくらなんでもスケールが大きすぎだと思うし、最大にして究極の敵であるミスチフも、結局最後の方では何をしたかったのかよくわからない感じになってしまった。終わりもかなりあっさり終わってしまって、登場人物たちがそれぞれどうなったのか全く分からないのがちょっと残念だったが、それでも十分面白かった。ラストは2019年の、千茅の友人青葉の描写。最初から希望はあったことを描いて終わりとなる。

結局第6巻の時点でイサリがアイネイアのために依頼してカンミアたちが作った冥王斑の治療薬が全てを解決する鍵となったのだが、作中(前の巻のどこか)にもあったように、なぜ救世群はカンミアたちに出会った時に真っ先に治療薬を作ろうと思わなかったのだろう。 それは長年差別されてきた彼らにとって、差別の根源である病気を治す事よりも復讐そのものの方が重要だったからだ。

これは今イスラエルで起こっていることも同じなのだ。イスラエルハマスも宗教とか住民の命などより復讐の方が重要になってしまっているのだ。こういう事はこれからも人類が続く限り永劫続いていくのだろう。 それでも、相手方の誰かと個人的に心を通わす誰かはきっといる。そういう小さな繋がりを世界を変える突破口になることを期待したい。そういう気持ちは作者の願いでもあり、私も、そして世界中の誰もが持っている願いなのだろうが...

最初から希望はあった。でも800年もの紆余曲折を経てようやく千茅と青葉の想いが届いたのは、読者である我々にとって希望なのか、それとも絶望なのだろうか。

小川一水 天冥の標Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと

前巻に引き続きメニー・メニー・シープ政府と救世群の戦いが続く中、救世群との和解を実現しようと動き出すイサリは単身エウレカに潜入するが、そこで囚われてしまう。だが救世群も一枚岩ではなく、ミヒルに反感を持っている者もいるようだ。

この辺りまで進むと、もはや一巻ごとにストーリーが途切れたりしない。このため、実際にはだいぶ先まで読んでるので正直この巻まででどこまで話が進んだのだったかよくわからない感じになってきてしまった。

第1巻から「地球から来た」として登場していたルッツとアッシュは、やはり救世群討伐のためにやってきた地球艦隊から調査のために派遣されていた。そして明らかになるセレスの真実。救世群は甲殻化した際に生殖能力をなくし、しかも元の体に戻るためのデータを失ってしまっていた。データはカンミアの母星に送られていたため、そこに行けば元の体に戻るためのデータが手に入ると考えた彼らはセレスにドロテアを埋め込み巨大宇宙船に仕立てて、全員が冷凍睡眠に入って300年の旅に出たのだった。

激闘の末カドムらはついにミヒルを追い詰めるが... なんか急激に普通のスペースオペラになりつつあるような気もするが、あと3冊、さてどうなるのか。 カンミアはそもそもオムニフロラに対抗すべく地球にミスミィを送ったのだが、それも500年も前の話。そこで何がセレスを待ち受けているのだろうか。

この巻ではメニー・メニー・シープ政府と救世群の和解へ進んで行くのだが、現実の世界のニュースではハマスイスラエルの対立がさらに混迷の色を濃くしている。現実には長年の怨みはそうそう消えそうにない。この物語では冥王斑がカンミアの作った薬で治せることによって和解がぐっと近づいたのだが、宗教という抽象的なものが原因の対立はそうそう消せるものではないのだろうか。それとも何か共通の巨大な敵でもいなければ怨念を超えて協力することなどできないのだろうか。悲しいことだ。