谷甲州 航空宇宙軍史・完全版3

前巻に引き続きの第3巻。「最後の戦闘航海」と「星の墓標」の2作を収録、ページ数は前作よりもさらに増し、760ページに及ぶ巨編。

第2巻で外惑星連合の敗北で終戦を迎えた外惑星動乱だったが、ガニメデ宇宙軍所属の掃海艇CCR42は木星の衛星ヒマリアの近傍空域の掃海と、そこにあった基地の調査を命じられる。そこではかつておぞましい人体実験が行われていた...という「最後の戦闘航海」と、生体脳コンピューターを使った戦闘システムという同じテーマで連続していて、「最後の…」とも密接に繋がっている4作の中編からなる「星の墓標」が繋がった一冊で読み応え十分。

「最後の戦闘航海」ではCCR42が、機雷で封鎖されたヒマリアへ何とかたどり着き、この星のふたつの基地を調べると、人間の脳を使った戦闘コンピューターを持つアンドロイド「作業体K」と遭遇する。このアイディアは、直接の関連はないものの、そのまま「星の墓標」へ引き継がれることになる

「星の墓標」ではいきなりシャチのジョーイを主人公にした海洋小説で始まる。やがて彼は捕獲され航空宇宙軍宇宙艦オルカ・キラーの指揮を執る生体コンピューターにされ、かつての仲間たちと戦うことになる。最後はかつての仲間たちと一緒に海へ帰ろうと自爆を選んだジョーイだったが、大破したオルカ・キラーは外惑星連合に発見され、最重要機密である小惑星トロヤで発見された12人の人間の脳を接続した生体コンピューター「ラザルス」を積んで7年かけて土星へ向かう軌道に乗せられた。そして物語は40年後に飛ぶ。

生体脳コンピュータというアイディア自体は古くさい。脳をコンピューター代わりに使うなら人間と同じように生存環境を整えないといけないので完全なAIによる戦闘制御と比べると制約が多いしコストも高いと思うのだが、実際の人間の記憶や人格を付与したAIだと考えれば現代でも十分通用すると思う。最後はジョーイとラザルスという生体脳同士の戦いになってしまう。それも武器を向け合う派手な戦闘ではないところがミソだ。

しかし相変わらずこのシリーズ、あっさり人殺すな。やっと再登場したと思ったのに、ダンテも死んじまったのかな?

ユーロヴィジョン・アジア 2026

Eurovision Asiaというイベントが今年11月にタイのバンコクで行われるのを皆さんご存じだろうか。

これは正式名称がEurovision Song Contest Asia 2026といい、ヨーロッパで75年の歴史を持つ歌の国別対抗戦Eurovisionのアジア版で、今回初開催となる。残念ながら日本、中国、インドといったアジアの大国がいずれも出場していないので国内での注目度は低い。今回は東アジアを中心に11ヵ国が参加、現在各国の予選が順次行われていて、17日のカンボジアを残すのみとなった。

最初に代表が決まったのがブータン。5組の候補から選ばれたのはNyendraという男性歌手の「Lhayi Semo」という曲で、これがいかにも素朴な作品だったので、うーんアジアこんな感じなのかなと思いきや、次に予選の行われたフィリピンはかなりレベル高く、代表に選ばれた19歳のシンガーCarmelle「Sobra Sobra」には度肝を抜かれた。とんでもない才能の持ち主で、ダンスチューンからジャズやバラードまで見事に歌いこなす逸材だ。

その後韓国はK-POPグループA.C.EのメンバーJUNHEE「DEEP DIVE」がいかにもユーロヴィジョンらしいパフォーマンスで選ばれたが、韓国はどうも国を挙げての参戦という感じではないみたいで予選参加の他の9組も意外とレベルが低く、イマイチ盛り上がりがなかったような。

ラオスは代表歌手Thinlaが先に決まっていて3曲の中から本戦で歌う曲を選ぶというシステム。で決まったのがこの曲「Bae(べ)」。ご覧の通りティンラちゃんとてもかわいい。でもやっぱCarmelleみたいな破壊力はない。

タイも10組の歌手が参加して予選が行われたのだが、事前に曲を発表しないというやり方。ところが始まってみたらこれがパッとしない曲ばかりで残念な内容。結果MANG+DAOUという男女デュオが歌う「AROMA」が選ばれたのだが、なんか今まで決まった中で1番平凡なような。パフォーマンスもなんかメロドラマ臭くて安っぽいし...

8月にマレーシア代表として発表されていたAina Abdulの参加曲「Bluest Sky」がようやく先日発表された。もともとこの人は素晴らしい実力のある歌手なので期待していたのだが、これは期待に違わぬ素晴らしい曲で今大会の大本命。イスラム教徒の彼女は手や足はおろか髪の毛も決して出さないファッションがわれわれの目には異様に見えるが、それを逆手に取った奇抜なファッションと、静かだが強烈な歌唱力と表現力で胸を打つ。彼女はシンガーソングライターで、英語の歌詞のこの曲も彼女自身の作詞・作曲というのも素晴らしい。

前述のフィリピンのCarmelleとこのAina Abdulのどちらかが優勝だろうと私は思うのだが、海外の反応ではベトナムのTóc Tiênの「Em Tiên」がこの二人に迫る勢い。この人はアジアのLady GAGA的な位置付けの方で、エンターティナーとして非常に高いレベルにある歌手だ。ただ私はこの曲が正直あまりにもベトナム的なものを前に出しすぎている気がして好きじゃないんだけど、ダンスなどを含めてエンタメとしての完成度は高く、確かに高く評価されるのは理解できる。 

他の国ではバングラデシュは6人組アカペラグループBeatmosphere「Tumi Ele」が選出された。アカペラというのは個性的で面白いし曲も悪くないのだが、パフォーマンス的には制約が多くEurovision的には苦戦必至。

 ネパールはPratik Himal Rai「Antana Maya」が選出されたがこれは正直事前に聞いても全く印象に残らなかった曲で、どうしてそうなったというのが素直な感想だ。この国の予選参加曲ではBeyondの「Control」という曲が圧倒的に良かったし、実際発表になった時のYoutubeのチャットでも「なんでBeyondじゃないの?」という声ばかりだった。Pratik Himal Raiのパフォーマンスは(彼が阿部サダヲにしか見えないという事は置いといても)他の参加者に比べても特に秀でていた印象がなくて、なぜ彼が選ばれたのか全く理解できない。 

さらに問題なのは先日決定したモンゴルのBeck「Light」という曲。これが発表された翌日に、実はこの曲が2018年にリリースされた旧作だったことが発覚。Eurovisionでは参加曲は未発表の新曲に限るという規定があり、盗作疑惑なども厳しくチェックされるのに堂々と旧作を出してくるとは呆れる。しかもそれまでアップされてた動画を削除しているなど結構悪質。Eurovision本体の規定がこちらでも適用されるのかどうかはわからないが失格が妥当だと思う。とはいえただでさえ出場国が少ないので、せめて別の曲で出るとかになるのかも。

17日に予選が行われるカンボジアは7組が出場するのだが、予選のステージまで出場曲を紹介しない方針らしく、これはよくない。事前に曲が聴けないので、以前リリースされた曲だったり盗作だったりする場合のチェックが効かない。この辺は改めてほしい。

あと配信映像が乱れたり音が非常に悪かったりとか様々な技術的な問題も。国によっては司会が母国語だけで話して全く英語を話してくれなくて何を話しているのかさっぱりだったりもするし、最近までは独立して設けられていたYoutubeのチャンネルがいつの間にかなくなって本家Eurovisionのチャンネルと統合されてしまっていたり運営も試行錯誤しているようだ。

 

☆10/18追記

モンゴルの代表曲「Light」については失格となり、かわりに「Chamguigeer (Without You)」という曲に変更になった。

17日のカンボジア予選の結果Monetreyの「I Let You Go」が選ばれた。悪い曲ではないが平凡な曲でAina AbdulとCarmelleに対抗できるとは到底思えない。

堀江敏幸 その姿の消し方

フランスに留学中手に入れた戦前の消印のある使用済みの絵葉書に詩のような文章があることが気になった「私」は、その差出人アンドレ・ルーシェを生涯にわたって追うことになる。やがてルーシェが書いたとされる他の絵葉書が何点か見つかり、「私」はルーシェがなぜこの文章を書いたのかという謎と、そして彼の人生に迫っていく。その経緯を13の短編にわたって描いた作品。

 一作が20ページくらいの連作なので読みやすく、きめ細かく美しい文章で書かれた非常に良い作品だと思うのだが、 これと良く似た作品を以前読んだことがあるぞ、と思ってしばらく考えて、辻邦生の「ある生涯の七つの場所」の中の「緑色の場所からの挿話」シリーズだと思い至った。ここで辻の主人公は戦前のフランスで活動していた宮部音吉という無名の社会主義者の男の足跡を追っていたが、ここでは追うのが無名の詩人という違いこそあれよく似たシチュエーションだ。 堀江が辻を読んでいたかどうかは知らないが、シチュエーションばかりでなく空気感も辻に通じる作品だと思う。

辻の「ある生涯の七つの場所」という作品は100個の連作を7つの時代に分けてそれを他の時代と組み合わせて配列し、しかもそれぞれの短編が横(ほかの時代)にも繋がっているというかなり複雑な構成を持つ作品で、だから「緑」だけを読もうと思ってもかなり面倒なのだが、これは単一のお話なのでそういう難渋さはない。

辻の作品と違う点としては、ルーシェの人生を追ううちに彼に縁のあった人物との交流が生まれた「私」の心の動きが中心に描かれていくようになる点で、どの作品もスパッと終わる明快さはないし、最終的に何かはっきりした結末があるわけではないが、深い余韻を残す良作だ。ちょっと続きを読みたい気がするのも良い。

ドラマ「百年の孤独」

Netflixで配信されたドラマ「百年の孤独」。2014年末に第1シーズン8話が配信され、この8月初めに第2シーズンのうち7話が配信されていたが8月26日に最終回が配信されてついに見終わった。

原作は一昨年文庫化されベストセラーになったので読まれた方も多いとは思う。文庫で600ページ強という長編ではあるのだが、普通の小説ならドラマ化すればせいぜい6~7話で終わりそうな分量。これまでのネトフリドラマ「クイーンズ・ギャンビット」や「リプリー」あたりも大体長編小説一冊をそのくらいの分量でドラマ化という場合が多かったと思う。 しかしガルシア・マルケスという作家は小さなエピソードを積み上げていくのが特徴。この作品もそれぞれが短編小説になりそうなエピソードがこれでもか、というくらいに盛り込まれている。それをかなり忠実に映像化しているのでトータル16時間に及ぶ濃密な映像になった。細かいエピソードの配置が原作とは違ったりはしているが内容的には原作と同じで、さすがに制作者がガルシア・マルケスの孫というだけの事はある。

小説はあまりにもエピソードの洪水なのもあり、馴染みのない南米の情景が掴みにくい面があるので視覚的にドラマで見ると作品の理解も進むと思う。小説ではホセ・アルカディオ、アウレリャノ、レメディオスと同じ名前の登場人物が数世代にわたって繰り返し登場して混乱するがドラマでは当然別の俳優さんなのでそういう混乱は起きないのもいい。ドラマ独自のアレンジとして別短編のヒロイン、エレンディラが出て来たりもする。

子役やティーンエージャーの時は別として、ひとりの役者さんが若者時代から老人まで演じている場合もあり、特にウルスラは40歳くらいから最後は120歳くらいまでMarleyda Sotoさんという女優さんが演じているのだが、その全く自然な老けメイクも驚異的。

 屋敷が水浸しになったり、ラストで風に消えるマコンドの表現など映像的にもすごい。どんだけお金かかってんだ。 いやーすごいもん観た。

ブッツァーティ シチリアを征服したクマ王国の物語

孫1号の誕生日に用意した誕プレ本。今年はイタリアの作家ブッツァーティの「シチリアを征服したクマ王国の物語」。

 2年生の孫は図書室の常連で司書の先生に顔を覚えられてしまうくらいの本好きに育ってしまった。 最近は普通の子供向きの本はもちろん小学生向けのラノベっぽい本とかまで結構色々読んでるみたいで、もうさすがに絵本でもないだろうけど、小学校低学年でも読めそうなそこそこしっかりした読み物を、と思って探すと適当な本がなくて結構難しい。 市内にはあまり大きな書店がないので、隣町まで遠征してこれを見つけて購入。ブッツァーティは以前いくつか読んでいて大体どんな感じかわかってはいるけど、この作品自体は読んだことないので孫に渡す前に一読。

これはシチリア島のクマたちが山の食べ物が少なくなったので人間の街に食べ物を探しに来て、人間の支配者で強欲な「大公」と戦いを繰り広げるというお話だ。現代、極東のどこかの国で同じようなことが起こってるが、まあそれは置いといても挿絵も充実、イタリアの作品らしいひょうきんさがあってとても面白く読んだ。

冒頭の登場人物の紹介のページから(クマだけに)人を食ってて面白い現代日本でもクマ公たちが強欲で狡い国家元首を倒してくれればいいのにとか思っちゃう(笑)。

イタリアではすごくポピュラーな作品なんだそうだ。 ちなみに実際にはシチリア島にはクマは現在も過去にも生息していたことがないのだそうだ。

200ページ近い作品だし、これを読み終わったら達成感もあると思う。孫も楽しんで読んでくれたらいいな。

しかしこの本がたったの715円というのもすごい。

谷甲州 航空宇宙軍史・完全版 第2巻

前巻に引き続きの第2巻。第1次外惑星動乱がいよいよ開戦。第2巻は外惑星連合と地球・月連合側の航空宇宙軍との熾烈な戦いがクールな筆致で描かれる。

この作品では宇宙船の機動がめちゃくちゃ科学的・リアルに描かれていて、そもそも宇宙艦隊同士の戦闘自体大変難しいことが描かれる。 「火星鉄道一九」と「巡洋艦サラマンダー」の2短編集を収めてある(ので500ページ強のボリューム)がどの短編を読んでもリアルな戦闘描写(というか戦闘に足らない場合も含めて)が見事。しかも各短編は常に一ヶ所(艦内の戦闘司令室とか、艦隊旗艦の作戦本部とか)の密室劇になっていて読者には敵の意図は全くわからないように書かれている。これによって絵的には全く退屈な宇宙空間での戦闘が緊迫感を持って描かれる。

どの短編も面白いのだが、「火星鉄道一九」収録の「どん亀野郎たち」と「巡洋艦サラマンダー」の表題作とそれに続く「サラマンダー追跡」は繋がった作品で、外惑星連合の虎の子の巡洋艦サラマンダーを航空宇宙軍が追い詰めていく一連の作戦を描いているのだが、最終的に派手なドンパチが起こらないのがミソだ。航空宇宙軍は多数の艦艇で単艦で行動するサラマンダーを包囲するのだが、宇宙では推進剤の量の関係などいろんな要因があって安易に軌道の変更ができずサラマンダーを追える艦の数が制限されるとか、中立国に逃げ込まれた場合の政治的な問題など様々な現実的な問題が起こる。

同等の艦艇を航空宇宙軍では「フリゲート」、外惑星連合では「巡洋艦」と称するのも面白い。現在の海軍でははっきりした規定はないがだいたい「巡洋艦」は1万トン以上の艦艇、「フリゲート」は3000トンクラスの艦艇を指すと思うので結構違うと思うのだが。あと宇宙なのに「巡洋艦」というのは違和感がある。「巡航艦」にすべきだと思う。

推進剤を使いすぎると帰還できないとか、帰還するルートが限定されるので敵に捕捉されやすくなるなどよく考えれば宇宙空間では当然そうなるんだけど、そんなことを詳しく描写したスペオペは初めて読んだ。 非常に面白かった。第1巻よりだいぶ好き。 しかしこれ読んだらその辺のアニメやSFってなまっちょろ過ぎるよなあ。

キム・チョヨプ この世界からは出ていくけれど

前回読んだ「私たちが光の速さで進めないなら」がすごく面白かったので期待して読んだのだが、最初から期待値が高すぎたせいか前作を読んだ時ほどの感銘は受けなかった。もちろんどれも良い作品で全然悪くはないんだけど、前作と比べると今回収められた各短編はちょっとSFのギミックに凝ってるものが多かった印象。正直前作の方が好きだったかな。

冒頭の「最後のライオニ」は人類が宇宙に進出した未来の話の話で、人の住んでいない3420EDという居留地を調査することになった「わたし」。そこに住んでいるのはロボットたちだけだ。しかしロボットのリーダー格セルは「わたし」のことをライオニと呼び、やっと帰ってきてくれたと言う。やがてライオニとセルの、「わたし」とライオニの関係が明かされていく。いい作品なのだが、この作家独特の心地よいウエットさがちょっとSFの後ろに隠れてしまった感がある。

視覚に異常を持つモーグと言われる人々がいる世界。モーグの少女マリの希望で彼女にダンスを教えることになったソラはなぜモーグがダンスを?という疑問を抱きながらも次第にマリと心を通わせるようになるが…という「マリのダンス」もモーグという後天的障碍の要素がややSFよりな作品だ。

「認知空間」という作品では、人間がある程度の年齢になると認知空間という巨大データベースに接続して人類のすべての知見にアクセスできるという世界が舞台になる。しかし虚弱体質で認知空間にアクセスする権利を得れなかったイヴは認知空間の限界を主張していた…というお話。認知空間はインターネットの寓意なのだろうが、これにアクセスできないイヴはスタンドアロンの認知空間を作ろうとする。これもSF設定が先走った感が強い。

最後の「キャビン方程式」だけは未来や異世界ではなく現代の韓国・蔚山が舞台。事故で時間認知がおかしくなってしまった天才科学者だった姉。意識は明晰なままなのだが、人よりも脳内の時間の流れが遅くなってしまって生活が不自由になってしまい、世話をしてくれていた妹とも疎遠になっていた。ある日妹は姉からの指示で蔚山名物の幽霊が出ると噂の観覧車を訪れる。姉はこの観覧車の幽霊が物理現象であることを証明しようとしている…という話。この作品が一番好きかな。

私の勝手な好みで言えばもうちょっとSF味は薄くしたほうが好きかな。あと「この世界からは出ていくけれど」という作品集全体のタイトルがいまひとつ内容に合っていないような気がする。