エリザベス・ストラウト 私の名前はルーシー・バートン

以前「オリーヴ・キタリッジの生活」という連作短編集を読んで感銘を受けたエリザベス・ストラウトの長編小説。長編と言っても200ページくらいの短い作品なのだが、長さに見合わない重量感のある作品である。

主人公で語り手のルーシーが、1980年代に9週間に及ぶ入院した際に、疎遠だった母が5日間泊まり込みで見舞いに来てくれた時の話を柱にして、母との会話に垣間見えるルーシーの悲惨な子供時代、母との会話を回想する作家として成功した現在、の大まかには三つの時間軸を行き来する小説で、それらが短い断片として積み重ねられていく。すべてがルーシーの一人称で書かれていて、多数のエピソードが登場するがそれは彼女本人の目を通したものか、あるいは母という第三者の伝聞として聞いたものだけである。他の人の視点は全く出てこない。一人称の小説なら当たり前のような気もするが、これは読んでいて読者に『一人称で書かれた作品』であることを強く印象付ける、いうなれば完全一人称小説である。

だからこそのこの作品のタイトルは「My Name is Lucy Berton」なのだ。回想やなんかを通じて自分を見つめたこの作品は、その全編を通じて、母との子供時代を含む苦い過去も、夫や子供への愛も、そして作家として立つまでの逡巡もすべて含めて「わたしはルーシー・バートンというひとりの人間なのだ」と主張している。日本語では「私の名前はルーシー・バートン」と訳さざるを得ないが、そこにはもっと強くアイデンティティを叫ぶニュアンスがあるのだと思う。

正直言って絶賛するほど好きな作品ではなかったのだが、非常に優れた作品だというのはよくわかった。米国で非常に高く評価されたのもよくわかる。米国のちょっと知的な人々にはこういう特別な事件や事故が起こるわけでもない普通の話がすごく共感を呼ぶのだろうと思う。私としては以前読んだ「オリーヴ・キタリッジ」のほうが好みだったが。

まあそれにしても、それぞれ短編小説にできそうなたくさんのエピソードがちりばめられていて、どれだけアイディア豊富なんだろう。そっちにも感心しちゃうな。