中村真一郎 秋

中村真一郎の「四季」四部作の第3作。私は第1作「四季」を2008年に、「夏」を2014年に読んでいて、今回ようやく第3作を読むに至ったわけだ。前2作の記憶も曖昧ななか読み進めると、前作では語り手である「私」の、自殺同然に亡くなった妻のことに触れながら、その詳細が全く語られなかったのを思い出したのだが、今回は「M女」と表記されるその妻との関係を中心に、「夏」で描かれた「A嬢」との物語に先立つ日々を回想していく。

で、まあ正直な話とても読みにくい。プルーストに心酔していた中村はこの作品にも「意識の流れ」を大幅に取り入れて、語り手の思惟は実際の時間の流れとは全く無関係に揺れ動き、語り手の現在時間である70年代からM女と暮らした20年前や、それから連想されたもっと昔や最近の過去など様々な時代へシームレスにつながって行く。おまけに人名がほとんどアルファベット(「D」とか「S」とか「K」とか)になっているので非常に読みにくく、またのこの記号名のために小説全体に対して感情移入を阻まれているような気もする。

で、前作同様非常に奔放な性についてかなりのページを割いて描かれたこの作品は、そのあまりにもフリーな感覚に正直ついていけない。読んでいて『この人頭おかしいんじゃない』と思うことも多々。そんなに人生にとってセックスは大事(おおごと)なのだろうか。語り手は60歳が目前というから今の私と同じくらいの年。70年代の60歳は今の私よりも老人だったと思うのだが、そんな老人がいまだにセックスにこだわっているなんて正直気持ち悪い。そもそも作中のDのような芸能人とかでもない普通の作家にこの小説みたいな奔放な性行動が可能なわけがない。小説の技法としての面白さはあるが、そこで描かれているテーマがセックスばかりというのは同じ初老の男性としてあまりにも情けないと思う。

そうそう、この作品どう読まれているのかと思ってネットでググったら何やら手放しで褒めているブログがあってへえそんな風に読む人もいるんだなあと思っていたら例の、私にはまったく同意できない理由で「死の島」をクソミソに貶していたサイトだった。うーんこの人とは意見が会いませんねえ…

で、最後の作品「冬」が残っているわけで、これは死を真正面から見据えて、前3作を総括した作品なのだそうだ。うーん面白いのかなあ。