ストルガツキー そろそろ登れカタツムリ

ストルガツキーの「そろそろ登れカタツムリ」を再読。

これは主人公が違う「カンジート編」と「ペーレツ編」の二つの部分からなる作品で、1966年に「カンジート編」が最初に発表された。その後「ペーレツ編」が発表されるとソ連政府に発禁処分に。発表した雑誌の編集者は全員解雇され、その後西側で完全な形で発行されたといういわくつきの作品だ。

ある場所にある「森」。そこはなにか異常な場所らしく、政府が厳重な立ち入り禁止の措置をとっている。主人公の一人ペーレツは「森」に興味を持って近傍の施設へ配属されたが「森」に入ることは許可されずもうこの地を出たいと思っている。一方、もう一人の主人公カンジートは事故で立ち入り禁止地区に取り残され、そこで数年生活している。事故の影響で記憶喪失になっているようだ。カンジートとペーレツはそれぞれの現状から出ようとするが…というような物語。

「カンジート編」はかなりSF的で、ここで描かれる「森」は「路傍のピクニック」で描かれた「ゾーン」に似た印象があるが、「ゾーン」の異常さは、そこに転がっている様々な謎アイテムだった。一方「森」の異常さのほうは謎の女たち「ルサルカ」や高熱を発する「死人」など異形の者たちがメインという違いがある。そこでカンジートは妻のナーワを連れて「町」を目指して謎だらけの「森」を旅をする。さまざまな異常事態に出くわしたカンジートはナーワを失い、結局は元の集落に戻ることになる。これは人知の及ばない事態に接した人々を描いた不条理劇だと言える。カンジートに「路傍のピクニック」のレッド・シュハルトのような現状を打破したいという強い意志がないのが残念な気もするが、当時のソ連の体制下での無力感が現れているのかもしれない。

一方「ペーレツ編」で描かれた社会はまさしくソ連の当時の体制そのもので、申請をしてもトンチンカンな返事しか来ないし、上司と思って会ったらただの秘書だったとか当時のルーズ極まるソビエト社会批判のオンパレードで同じ作家の「トロイカ物語」を思わせる。これは当然政府に睨まれただろう。後半は主人公が見た夢のシーンなのか全くつじつまの合わない描写などもあり、最後はペーレツが局長にされてしまうあたりは「滅びの町」をも思わせる。全体としてこちらのパートは、カンジート編よりもさらにカフカばりのストレートな不条理劇として読める。

さてこの作品には「Disquiet(英題)」という初稿があり、そちらでは「Noon Universe」の一部という設定なのだそうだ。「森」は「Noon Universe」の各作品で何度も話題に上る惑星パンドラの森、主人公もカンジートがアトス、ペーレツはゴルボフスキーなのだという。そう思って読むとなかなか興味深いのだが、この作品は「Noon Universe」の各作品から見ればかなり初期に書かれたものになるので、後に出てくるパンドラの様子とはかなり食い違っているように思える。ここで描かれた「森」がロシアの鬱蒼として冷たい暗いモノクロームな森のイメージなのに比べ、パンドラの森は謎の動物が無数に徘徊する熱帯的なド派手な森のイメージがあると思う。

それにしてもこれが「Noon Universe」の作品のままだったらどんな作品だったのだろうか。こんな陰鬱な話ではなくなっていたのだろうか。それにパンドラの原住生物として「Noon Universe」中で何か所も言及されるタホルグやエビグモがこの話にどんな風に絡んだのだろう。読みたかったなあ。