オードリー・ニッフェネガー タイムトラベラーズ・ワイフ

古本屋で上下巻計400円で購入。2003年に刊行された作品で、タイムトラベルもののSFの設定をベースにした恋愛小説である。

主人公ヘンリーはタイムトラベラーだが、この作品では彼のこの能力は彼の先天的な障害として描かれている。タイムトラベルはランダムに起こり彼自身にはどの時代のどの場所に行くのかコントロールできないのだ。しかも、それが起こると何も持っていけない。要するにタイムトラベル先に素っ裸で出現してしまうのだ。彼はまだ少女時代の妻クレアのもとを頻繁に訪れるようになる…

とまあ、あらすじで言えば私の大の苦手なロバート・F・ヤングみたいな話で、ヤングの「たんぽぽ娘」を長編化したような作品だったら嫌だなあと思いながら読みだしたら、これが面白くて上下二巻800ページ強を3日くらいで読んでしまった。

構成が巧みで、基本クレアの過ごした時間軸(ノーマルな時間の流れ)に沿って描かれ、ヘンリーとクレアそれぞれがその時起きた事件について一人称で語る形で物語が進んでいく。この作品のお約束として、タイムパラドックスは起こらないというルールがある。すなわち、起こったこと、起こることは変えられない。ヘンリーの行動で過去に干渉して未来を変えたり、未来のことを知ってそれが起こらないようにすることはできないのだ。よくあるタイムトラベルもののように未来が枝分かれしたりはしない。このため、作品は相当緊密に構成されていて、作者は細部まで矛盾が起こらないように気を配って書いたのだろうと思う。物語を彩るそれぞれの家族や友人といった登場人物や、彼らの聴く音楽などの小物が生き生きと描かれている点も魅力だ。作品中で9.11が起こりニュース映像でそれを見るシーンまである。

結果この作品はヤングのナイーブな作品に比べると、似ているのはプロットだけだと言っていいと思う。行ったり来たりする構成が苦手な人もいるかもしれないが、決して読みにくい作品ではない。全体の雰囲気はエリック・シーガル「ラブ・ストーリー」に似ていて、センチメンタルな気分になったり、ハラハラしたりしながらあっという間に読み進んでしまう。というわけで大変面白く読んだ。

まあもちろんこういう作品だから根本的な矛盾はある。ヘンリーは妻だからクレアのもとを訪れるのだが、クレアの方も子供のころからヘンリーを知っていて彼を運命の人だと思っているからこそ初対面(ヘンリーにとって)でも積極的に行くわけで、ではもともとの始まりは何だったのか。ここはタイムパラドックス禁止のこの作品ルールから逸脱しているように思える。さらに、タイムトラベル自体を遺伝的な異常と解釈するのは面白いが、それで過去や未来に実体化するメカニズムは説明できない。まあでもこれは基本SFではないので、そんなことは考えずに読んで全然OKな作品だ。恋愛小説というものは恋愛を成就するためのなんらかの障害があるのが当然で、ここではその「障害」が夫のままならないタイムトラベルであるというだけのことだ。

それとここまでかっちりやるのなら、若いヘンリーとクレアがそうとは知らずにアブラに出会うシーンがあったらよかったのにとも思う。それともどこかで出会ってるのかな?

さてamazonのレヴューを見たら、やっぱり結構評価高いのだけど、いくつか気になるレヴューがあったので書いておく。クレアが12歳の時の最後の台詞“It’s just that I thought maybe you were married to me.”この翻訳者は「あなたはあたしと結婚してるんだと思っていた.」と訳しています.これではクレアはヘンリーと結婚すると理解していないことになります.しかし,この後の話はクレアはヘンリーと結婚することを当然のように理解していて,話の筋が通らなくなっています.」いや誤訳ではない。というかこれ以外に翻訳のしようがない。実際クレアはこの時点でヘンリーが誰と結婚しているか知らなかったのだから、この翻訳で正しい。

「ヘンリーは、いつクレアに「君は将来ぼくの妻になるんだ」と告げたのでしょう。17歳のクレアは既に知っている設定になっています。しかし、その以前のいつ知ったのでしょう。」クレアはヘンリーの妻になる事をヘンリーから16歳の時に聞いている。ルースの家のパーティに行くシーンだ。読み飛ばしておいて星一つはないでしょ。もちろんそれがなくてもクレアはとっくにヘンリーと結婚することを心の中で決めていると思う。

作者のオードリー・ニッフェネガーは1963年生まれの米国の作家。これがデビュー作で、この後もいくつか長編小説を執筆しているが邦訳はないようだ。

この作品は「きみがぼくを見つけた日」という邦題で、エリック・バナ主演で映画化されている。機会があったら観てみたい。同名で文庫化もされているようだ。