白水社「アナトール・フランス小説集」の第8巻。この作家お得意の、宗教にまつわる短編を集めた作品集。
冒頭に置かれた「神父アドネ・ドニ」で、ここに収められた短編が「聖女クララの泉」のほとりで神父アドネ・ドニによって語られたものを書き留めたものであることが語られ、そこから10個の物語が語られる。この作家の作品は代表作である「舞姫タイス」などにもみられるようにキリスト教の矛盾に切り込んだものが多いのだが、ここでも「聖サティール」や「ルシフェル」などでその片鱗が見える。その最たるものが中編ほどの長さを持つ「人間悲劇」という作品だ。
フラ・ジョバンニという口下手な修道士はその無垢なるがゆえに世間からは愚者とみなされていたが、本人は神に愛されて満ち足りていた。彼を誘惑しようとしたサタンでさえその無垢さゆえに諦めるほどだった。しかしある日天使が現れ、フラ・ジョバンニに赤熱の炭火を与え、これで彼の口下手を癒したうえ、神の教えを広めよと命じる。雄弁になったジョバンニはある町で神の教えを説き、町の掟に背いたとされ死刑判決を受けてしまう。ジョバンニを救い出そうとやってきたのは彼を誘惑できなかったサタンであった、という物語である。
この物語の途中の問答など、教会で説教に出てきそうな至極まともな話なのだが、それがどんどんキリスト教の考え方からずれて行き、キリスト教への疑義が深まって行くところが巧みだ。
それでいて、逆にキリスト教を信じたが故の奇跡を描いた(と思しき)「担保」のような作品や、もある。作品集全体としてこれはどう読んだらいいのだろう。この作家は反カトリックという文脈で語られることが多いが、そういう単純なものではなく、この作家自身キリスト教を愛しながらも矛盾を感じて疑問を抱えていて、それをそのまま作品にしたのではないだろうか。これは19世紀末に書かれた作品集ではあるが、近・現代社会は、ユヴァル・ノア・ハラリが言うように、どうしても宗教では乗り越えられない問題と矛盾を抱えていることの現れなのだろうか、などと思った。