アゴタ・クリストフ 昨日

ハンガリー生まれで戦後亡命しフランス語で作品を書いたアゴタ・クリストフ。代表作「悪童日記」が有名だが読んだことがない。彼女の作品は初めて読んだ。

主人公トビアスは祖国の寒村で娼婦の息子として生まれるが、出生の秘密を知り母とその愛人を殺そうとして事件を起こして出奔、戦災孤児だと称して異国に逃れそこで工場労働者となる。自堕落で無気力な生活を送りながらも物書きになろうと努力もしているが、彼の頭の中には理想の恋人リーネが棲みついていた。

作品はトビアス自身が書いたものという意図なのだろうか、サブタイトルのついた詩的で幻想的な部分があって、そのあとにトビアス自身のことを書いた、サブタイトルのないリアリズムの部分があり、それが交互に出現する構成。非常に重苦しい作品だが読みにくくはない。

作者は21歳で前述のとおりハンガリーからスイスに亡命、フランス語で作品を書いた。この作品はある意味彼女の自伝のヴァリアントみたいな作品ではないかと思われる。筋立てはともかく、この作品に流れる強烈な空虚さは彼女が経験したものそのものなのだろう。後半、リーネが現実に姿を現すとなかなかヤバいストーカー小説になり、結果的に彼女の生活を破壊し、自分は妥協して、さして好きでもなかったはずの女性と結ばれて、物書きになる夢さえ捨ててしまう。

暗い作品だ。こんな事戦争の直後だから起きるのだ、と思う人もいるかもしれない。でもトビアスの感じる孤独に近いものを今、日本の都会の真ん中でも感じている人はきっと多いのではないだろうか。

とは言っても、こういう一人称で書かれている作品って読んでるときはどうしても主人公に感情移入してしまうのだが、あとでよく考えればトビアスは妄想をネタに殺人未遂を2回起こし、知人女性を自死に追いやり、リーネの家庭をも破壊してしまうようなはっきり言ってクズ男だ。全く同情の余地なし。

まあしかしトビアスの勤める時計工場の労働条件が良いことに驚かされる。週休二日、クリスマスなどの長期休暇もあるようだし、社食も完備、従業員の子供を預かる託児所もある。同じ時期の日本だと考えられない。

翻訳はおおむね良いが、会話の部分の生硬さが気になった。