ル・クレジオ アルマ

傑作「黄金探索者」を皮切りに「隔離の島」「回帰」と続いてきたノーベル賞作家ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオモーリシャス島シリーズ。今回も「黄金探索者」「隔離の島」と同じ中地義和氏の名訳で。

絶滅した鳥ドードーについて調べるという名目で先祖の出身地であるモーリシャスを訪ねたジェレミー。彼はドードーについて調べる傍ら、父ら自分の一族フェルセン家の人々の行動を、かつて一族と縁のあった人々を訪ねて聞く。作品はその数十年前、病気で醜い容姿になって彷徨の人生を送ったやはりフェルセン家の男ドミニク(通称ドードー)の物語が短い章を積み重ねていく形で交互に語られていく。

この作品でよくわからないのはタイトルの「アルマ」だ。この作品には少なくともふたつの「アルマ」が登場する。一つ目はモーリシャス島の中央部の地名。二つ目はモーリシャスにおけるフェルセン家の始祖であるアクセルの妻の名前。おそらくはドードーが回想する土地アルマが、すなわち父祖の母なる土地という意味で始原の女性たるアルマの名前と響きあってこの作品のタイトルなのだろう。

もうひとつ気を付けておきたいのはドードーが繰り返し演奏し歌う「オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)」について。これは日本では「蛍の光」として有名な曲。もともとスコットランド民謡で、作中で演奏されるものはシューベルト編曲となっているが、シューベルトにはそういう作品はなく、大作曲家の編曲としてはベートーヴェンのものが有名。日本では卒業式など何かが終わる節目の曲というイメージだが、原曲は旧友との絆を確かめるといった内容。この曲がヨーロッパを彷徨うドードーの望郷の念を象徴しているのだ。

「黄金探索者」や「偶然」のロマンこそないものの、多数の人物が登場して、さらにジェレミーともドードーとも全く関係のない章も含んで、重層的に家族とモーリシャスの歴史が語られていく。時間に流されて消えてゆくものの象徴としての、絶滅した鳥と同じ名前を持ち破滅へと確実に歩んでいくドードーと、没落した名家の末裔として今を生きるジェレミー。ラストで二人の人生が交錯する瞬間が描かれ、なんともいえないカタルシスがある。久しぶりに重量感のある読書で満足した。 

ところでフランス文学はヘンな翻訳者に当たると目も当てられない。ル・クレジオはとても好きな作家なのだが、作品にかなりばらつきがあり、素晴らしい作品と「これはちょっと…」という作品の差が大きい作家だ。その差には翻訳の影響が少なからずあると感じている。中地義和氏の翻訳はどことなく音楽的でクレジオのイメージにぴったり。素晴らしい翻訳で読めるわれわれ日本人は幸せだと思う。