ル・クレジオ 偶然 帆船アザールの冒険 他

ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオは2008年のノーベル文学賞受賞者。代表作「黄金探索者」でノックアウトされたが、結構当たり外れの大きな作家でもある。これまで読んだ中で一例を挙げると「黄金探索者」「隔離の島」「モンドそのほかの物語」は当たり、「はじまりの時」「黄金の魚」は外れで、外れはいずれも同じ翻訳者なので訳者を選ぶのかもしれない。
今回は中編「偶然 帆船アザールの冒険」を読んだ。翻訳者は菅野昭正氏で、この方の翻訳は信頼が置けるので安心して読み始めた。
「偶然」は黒人少女ナシマが初老の映画監督モゲルが所有する帆船アザールに潜入、一緒に旅する事になるが...というクレジオらしいロマンと苦い現実が交差する佳作だ。少女と初老の男の交流と別れをこの作家独特の流れるようなトーンで描き出す。ラスト近くで死の床にあるモゲルにナシマが語る未来の船旅のモノローグが美しく悲しい。そしてラストでは過去を振り返らずに未来へと向かうナシマのまなざしが感動的。
併録の「アンゴリ・マーラ」は愛する女性を失った怒りからジャングルを訪れる者を殺し続ける男の物語。内容も筆致も南米文学を思わせる短編で強烈な印象の一編。これは二作ともクレジオの作品では「当たり」の作品が収まった一冊だと思う。
翻訳も問題ないと思うのだが、「偶然」というタイトルはいささか短絡的にも思える。原題の「Hasard」はもちろん「偶然」の意味の単語なのだが、解説にあるようにいろいろと含みのある単語で、だからこそなにかほかのいい日本語タイトルがなかったのだろうかと思ってしまう。
 
ちなみに最近ル・クレジオの「隔離の島」が文庫化されてる模様。疫病の流行で「隔離」がキーワードとしてでの文庫化かな。はっきり言ってこれは疫病がテーマの本じゃないんだけど、これでクレジオ好きになってくれる読者がすこしでもいればいいな。