ヴェルナー・ヴォルフ ブルックナー 聖なる野人

9曲の交響曲と宗教音楽などを遺したオーストリアの作曲家アントン・ブルックナーについての評伝と作品論を収めた一冊。私はこの作曲家の作品がかなり好きで交響曲の音源を相当数持っていて、ある程度はこの作曲家の生涯や作品の成立の経緯なども知ってはいるのだが、この本が古本で安く手に入ったので読んでみた。

著者ヴェルナー・ヴォルフは指揮者としても活躍した人物で、幼少のころにブルックナーに直接会ったこともあるそうだ。ブルックナーの作品を愛していてアメリカで彼の作品を多数演奏して普及に尽くした人物らしい。そんな著者がまだブルックナーの作品がさほど脚光を浴びていなかった1940年代に彼の音楽を世に広めようと書かれた本なので、現代の定説とは違う部分も多い。例えば伝記部分のブルックナーの死の経緯。現代では死の当日も午前中は普通に交響曲第9番の作曲の仕事をしていたが夕方急に体調を崩しそのまま亡くなったとされているが、この本では数日前から体調不良で臥せっていたことになっている。この一点から考えても、ほかにも現代の定説とは違う記載があるのかもしれないが、実際見て書いたわけでもないし、そもそも過去の偉人の伝記なんて細かいところの正確性はあやふやで当たり前なのかもしれない。

作品論についてもこの本が書かれた当時はハース版の「原典版」が登場したころで、それまでのレーヴェなどの改訂版との違いには触れているが、近年出てきた第1番から第4番、および第8番の改稿問題には全く触れていない。これは時代的に著者がそれらの異稿の存在すら知りえなかったのだから仕方がないことなのだが、今読むとやはり物足りない。まあでもそういうことを差し引いても、今読んでもこの作家の人となりと作品のありようを知るには十分な一冊だと思う。楽曲解説もかなり充実しているが、当然旧来の版を下敷きにしたもの。例えば異稿版ばかりを演奏したシモーネ・ヤング指揮の全集しか聴いたことのない人がもしいたら、その人には全然通用しないだろう。

ブルックナー異稿問題についてはそれだけで本が何冊か書けそう。第1番は初期稿の「リンツ稿」と後年大幅に改訂した「ウィーン稿」があり、第2番は改訂版では楽章の並びが違うし、第3番は初期稿にはワーグナーの引用が多数あったり、第4番の初期稿は音数が多くてまるでマーラーの曲に聞こえることがあったり、それだけでも相当面白いので、そう言う本があればそれも読みたいなあ、と思った。