ボクらはみんな大人になれなかった

2021年劇場及びNetflixにて公開された邦画。原作は「燃え殻」というペンネームの作家による同名の小説。森義仁監督、森山未來伊藤沙莉主演。

TV番組で使うフリップやCGを制作する会社に勤めている40代の男性・佐藤。ある日facebookの「友達かも」に昔の恋人かおりの名前を見つけて、佐藤の思いは時を遡り始める。

最近の邦画はかなりいいかげんな恋愛映画が多いが、これはどうだろうと興味半分で観たのだが、うーん、なんだか中途半端にリアルなのに中途半端に意味不明な作品だと思う。

まず、この映画は冒頭に2021年コロナ禍の現在が置かれ、そこから時代を遡っていく構成になっている。場面ごとに何年とテロップで出るのだが、正直そこまでする必要があっただろうか。現在と、90年代のかおりとの日々だけでよかったのではないだろうかと思ってしまう。かおりと別れて10年ほど後に、結婚を考えながら結局は別れた恵という女性を大島優子が演じていて結構いい味出しているのだが、そもそもこのエピソード必要だっただろうか。

かおりがとても独特な美意識を持っているキャラなのに、当時流行していた小沢健二のファン(それも「神」と崇めるほど)というのもなんか適当な設定に思えるし、かおりという女性の私生活をはじめとするアイデンティティが、ふたりが「会うことがなくなって」別れた理由も含めて全く描かれないのも不満が残る。もっともこれは映画的には描かなくてもよかったことだとは思うのだが、サイドストーリーの一つでしかない恵のエピソードが結構詳細に描かれているのと対比するとメインの話であるはずのかおりのエピソードがちょっと弱いように思えてしまう。

まあそれでも主演の二人の演技力は見事。21歳の青年から40代半ばの中年を見事に演じきった森山は素晴らしいし、かおりは見ようによってはムカつくような子なんだけど、そんな子だけに好きになってしまうとヤバいというのはよくあることで、その辺を伊藤はうまく演じていたなあと思う。脇を固める東出昌大などもすごくいい演技をしているし、90年代の空気感もよく出ていた。多くの人々が抱えているであろう、今の自分に対する「こうなるはずじゃなかった」という思いは映像から伝わってくるしある種のノスタルジーと悔恨を観る者に与えて共感を誘うと思うのだが、それだけに時間を遡る構成が必要以上にひねりを入れすぎた感があって気になった。