アンリ・ミュルジェール ラ・ボエーム

若き芸術家たちの青春と悲恋を描いたプッチーニの有名人気オペラ「ラ・ボエーム」。その原作がフランスの作家ミュルジェールの「ボエームたちの生活の情景」という小説だというのはオペラのCDやなんかの解説に書いてあって昔から知っていたのだが、これまで邦訳がなかった。なのでそれがどんな小説なのか我々日本人は知ることができなかった。最近はネットのおかげで海外の権利切れの著作を読めるサイトにアクセスすると原文でなら読めたのだが、フランス語はさっぱりだし、翻訳ソフトを使ってもなんだかよくわからない。で、もうこの小説は読めないのかと半ばあきらめていたら突然光文社古典新訳文庫から出た。

で、喜んで買いに行ったら、670ページに及ぶ大部のせいか文庫なのに税別1600円という高額。うーん高いなあとうなりながらも買って、読んでみた。

まず登場人物は当然ながらすべてフランス名。ロドルフォはロドルフ、マルチェロはマルセル、ムゼッタはミュゼットという具合だ。オペラのイタリア名に慣れているからちょっと戸惑う。この作品は連作短編で各作品のつながりは思ったよりも薄く、オペラではロドルフォたち4人が一緒に住んでるみたいになってるが、この作品では冒頭のエピソードでは一緒に住むような感じなのにその後のエピソードではロドルフとマルセルは同居していることもあるがその他の二人はほとんど別に住んでるように描かれている。よく考えると、みんなで同居してたらロドルフとミミ、マルセルとミュゼットが一緒に住めるわけないしね。で、様々なエピソードが語られるのだが、オペラのストーリーの骨子となる「ろうそくの火を借りに来て彼女と出会う」「肺病で彼女が亡くなるのを部屋で看取る」という部分はロドルフとミミではなく、ロドルフの友人の彫刻家ジャックとその恋人フランシーヌのエピソード「フランシーヌのマフ」から取られている。オペラではミミは可憐で薄幸な女性になっているが、原作のミミはかなり奔放でロドルフを手玉に取る。オペラのミミはフランシーヌの要素が強いように思える。その他オペラで語られる様々な要素、例えば第1幕でのショナールが語るオウムのエピソードの原型は「三美神の身支度」で語られるし、家賃を取りに来た大家を撃退するシーンは「ミュゼットの気紛れ」で語られる。そんな感じでオペラの第3幕以外は原作の様々なシーンから抜粋したものばかりで、そういう面でも興味深い。ラストはヒロインのミミも死んでしまうのだが、これは作者の実体験が語られているのだとはいえ、病院で誰にも看取られず亡くなってしまってあまりにもかわいそう。まだ恋人に見守られて亡くなったフランシーヌの方が幸せだったと思う。

そんなこんなで19世紀フランスの青春を、当時の風物や流行を盛り込んで活写したこの作品は、現代人が読んでも結構共感できる部分があると思う。時代が変わっても若者たちの傍若無人さも、それに並行する彼らの恋の痛み、モラトリアムの悩みは変わらないからだ。その生々しい青臭さが、海外文学に格調を求めてきた日本の読者層に合わないと思われてきたのがこれまで邦訳がなかった理由なのかもしれない。