須賀敦子 トリエステの坂道 / エッセイ1957~1992

須賀敦子全集第2巻の残り「トリエステの坂道」の部分と、余白に収められた1957年から92年までに書かれたエッセイをまとめたものを読んだ。このうち「トリエステの坂道」については10年ほど前に読んでいて再読である。

まず「トリエステ」については前回書いていた記事から引用しておく。10年以上前の感想だが今回も全く同じ思いで読んだ。

トリエステの坂道」は須賀氏がミラノで短い結婚生活を送った夫ペッピーノ氏とその家族や友人との交流の思い出を描いたものである。そこにはなにやら、陳腐な小説などよりもはるかに深い(そして抑えた)感情と情景があり、美しい文体も加わってきわめて上質の小説を読むかのようである。

 例えば「ガードの向こう側」。これはペッピーノ氏の父親、ルイージ氏のことを書いた作品である。須賀氏はルイージ氏と直接の面識がなかったにもかかわらず、義母や夫の証言を基に文章によるルイージ氏のポートレイトを試みる。そしてこの作品の幕切れはルイージ氏の一人称による語りとなるという、エッセイとしては破格のものである。
 その文章の中に、会った事もない義父への言い尽くせない愛情が滲んでいる。
 同じように「セレネッラの咲くころ」では義母を、「重い山仕事のあとみたいに」では義弟アルドの妻の父グロブレクナー氏を、深い愛情をもって描き出す。
 「雨の中を走る男たち」ではまるで貧しさを誇るかのように傘をささずに雨の中を走るペッピーノを描いている。ここまで読む頃にはもう読者は、ペッピーノがこのあと若くして亡くなった事を知っているのだが、須賀氏の文章は深い悲しみをたたえながら、その透明さで読む者の胸を打つ。

「エッセイ集」のほうはそれぞれがかなり短い文章で、須賀さんの身の回りで起きたことを中心に書かれていて、主要作品のような深みはないが、これを読むと須賀さんという人の細かいところが理解でき、須賀さんの主要作品を読む上での副読本として非常に興味深いものだと思う。作家ナタリア・ギンスブルグとの交流を書いたものや、同じく作家のエルサ・モランテについて書いたものなどファンは必読。巻末の「住みたいシリーズ」4作はそれぞれ短いがとても須賀さんらしい作品だと思う。

男はつらいよ お帰り 寅さん

2019年末に公開された「男はつらいよ」の、「特別編」を別にすれば25年ぶりの新作。50周年記念作品でもあり、トータルで50作目でもある。

当然ながら寅さんを演じた渥美清はとうにこの世の人ではなく、25年の間においちゃん、おばちゃん、タコ社長を演じていた役者さんもこの世を去っている。そんな中で寅さんの甥満男(吉岡秀隆)を主役に25年後のくるまやの面々を描いたというある意味驚きの続編だ。

満男は数年前に妻を亡くし、高校生の娘と二人で暮らしている。脱サラして今は作家として生計を得ている。饅頭屋だったくるまやはカフェになっていて、旧作で従業員だった三平が店長を務めている。どうやら博とさくらはくるまやに住んでいるらしい。タコ社長の印刷会社はなくなり、アパートになっていて、タコ社長の娘の朱美が住んでいるらしくてくるまやに入り浸っているようだ。そういった設定の中、満男はサイン会で昔の恋人・泉(後藤久美子)と偶然再会するが…というような物語。

満男が泉と結ばれていなかったという事にまず驚くが、まあ人生ってそんなものかもしれない。泉は現実の後藤久美子同様ヨーロッパに住んで、現地の人と結婚している。なので棒読みの日本語はまあリアルだとは言えるが、実際に20年も外国に住んであまり日本語を使う環境になかったなら、もっと日本語が不自由でもおかしくないと思う。

正直同窓会レベルの映画といわれても仕方がないとは思うのだが、さくらや博はもちろん、源公やリリーといった以前のシリーズでおなじみだった人々が登場してきて、そこはかつての国民的映画の続編、他では得られないなつかしさがある事は否定できない。ただなんだか満男のストーリーにかこつけてむりやり寅さんの事を回想している気もしないでもない。

それとこの映画で一番不自然なのは満男の娘ユリだ。過分に大人が妄想する理想の娘像そのもののキャラクターで、こんな女子高生は現実にはほとんどいないと思う。このリアリティのないキャラがちょっと残念だった。

ジャック・ヴァンス 大いなる惑星

ジャック・ヴァンスの割合初期の作品で、日本では1966年にすでに邦訳が出ている。地球よりもかなり大きな惑星、その名も「大惑星(Big Planet)」を舞台に、遭難した宇宙船のクルーたちが地球政府の直轄地を目指して旅をするという、SF冒険小説だ。

この「大惑星」に住む人々は宇宙人ではなく500年前に入植した地球人たちの末裔である。したがって登場人物はすべてもとをただせば地球人なのだが、長年異星に住んで独自の文化を発展させている。こういうことを書かせるとヴァンスは一流だ。ここでも様々な地方の人々が登場するが、それぞれが個性的な文化を持っていて、その描写は克明かつよく練られていて流石だ。道中仲間が次から次に、それもかなり唐突に命を落とす酷薄さに加えて、誰かが敵対勢力のスパイであるというのもありがちだがうまい仕掛けだ。ただし、この小説はストーリー性、キャラクター性がやや弱く、結局「大惑星」の風物を描くことで終わってしまった感が強い。SF的な大仕掛けか、スパイが誰かなどの謎解きといったギミックが欲しかった。

この作品の世界も、明記はされていないが「魔王子シリーズ」のオイクメーニと同様の星間国家が舞台で、「魔王子シリーズ」での「圏外」と同じ考え方も出てくるので、これは同じ世界と考えても不都合はなさそうだ。ヴァンスの作品って「復讐の序章」で「月の蛾」の舞台の星について語られたり、結構横のつながりがある場合が多いようなので、どれかの作品で大惑星に言及したりしてはいないのだろうか。そういえば大惑星は産出量が少なくて金属が貴重品という設定も、石灰の産出量が少ないことが話の根幹にあった「フィルクスの陶匠」を連想させるようにも思った。

スタートレック・ディスカバリー シーズン3

NETFLIXで配信されているスター・トレックのドラマシリーズ。第3シーズンが昨日1月8日の配信分で最終回を迎えた。

スタートレックディスカバリー」(DIS)は、オリジナルシリーズであるカーク船長が主人公の「宇宙大作戦」(TOS)の10年前という設定で第1シーズン、第2シーズンが制作された。宇宙を縦横に行き来できる「胞子ドライブ」というオーバースペックを持つ宇宙船ディスカバリーと、バルカン育ちでスポックの義理の姉でもある女性士官マイケル・バーナムを主役にした作品なのだが、第1シーズンは連邦とクリンゴンの大規模な戦争に発展し、これまでのシリーズの設定と矛盾していた事や、クリンゴンの描き方が従来と全く違うなど物議を醸した。私も正直第1シーズンはあまり好きではなかった。

第2シーズンでは宇宙で発生した謎の信号と赤い天使を巡って、パイク船長やスポックといった従来シリーズでもおなじみのメンバーも登場して俄然スタートレックらしく面白くなった。その最終盤でディスカバリーは930年後の世界へタイムスリップしてしまう。その未来世界でのディスカバリーの活躍を描いたのがこの第3シーズン、というわけである。

言うまでもなく、今シーズンに描かれた世界は従来のシリーズで描かれた中でも最も遠い未来に当たる。多分「新スタートレック」(TNG)で27世紀かなんかが垣間見える話があったと思うのだが、今回はそれよりもずっと未来の32世紀の話だ。ディスカバリーとマイケルがやってきたのは120年ほど前に「大火」と呼ばれる謎の現象で高速ワープに必要な資源であるダイリチウムがほとんど失われ、その結果連邦は衰退、多数の星系が連邦を離脱して混沌とした世界であった。オリオン人を中心とする無法者集団「エメラルド・チェーン」との対立の中、「大火」原因を探すというストーリー。これまでのシーズンに比べてぐっとスタートレックらしい内容になった。これまで同様トレッキーならおおっと思うような仕掛けにも事欠かない。第3シーズンに至ると中心人物であるマイケルや船長になったケルピアン人サルーたち以外の端役のクルーたちもキャラが立ってきて、我々視聴者にも親近感が感じられるようになってきて非常に楽しく観れた。

私が一番気になったのは第12話でのエメラルド・チェーンの首領オサイラーのセリフ。「すでに連邦内で資本主義が起こっていることを認めろ」というものだ。要するに現状の惑星連邦内部では資本主義など論外なのだと言っているに等しい。彼らが資本主義と主張するエメラルド・チェーンの体制は奴隷制と搾取。しかし一部の者だけが豊かでほかの者は貧しいというのが資本主義の実態なのだ。万人が平等の社会主義国家である連邦とは正反対のシステムだ。私は宇宙で文明を築くには資本主義などありえないと思っている。無駄が多い資本主義のシステムではカルダシェフ・スケールの第1段階を突破できないのだ。だが、連邦が良心的な社会主義であればあるほど、恣意的に資本を投入できる独裁的資本主義であるエメラルド・チェーンのほうが軍事的には優位になる。世界のバランスって難しいな。

第3シーズンは各エピソードにバルカンとロミュランの問題や並行宇宙、「ヴォイジャー」でよく見られたホロデッキものをエクスパンドしたものまでスタートレックらしい仕掛けが施されて大変面白かった。中盤で船長であるサルーの「発進」の決め台詞を考えて「Execute」と「Carry on」のどちらにするか迷うシーンがあって笑えた。ちなみにピカードは「Engage」と「Make it so」を使い分けていたし、第2シーズンのパイクは「Hit It」だった。ラストでついにディスカバリー船長に就任したマイケルは「Let’s Fly」。そういう細かい事を考えているのも楽しい。

第4シーズンも制作に入っているそうで楽しみ。ちなみに第2シーズンのパイクやスポックが主役の新シリーズ「Star Trek: Strange New Worlds」も今年の公開予定。そちらも楽しみだ。

 

ディケンズ 二都物語

世界で通算二億部超のベストセラーだそうだが、今回初めて読んだ。私が読んだのは新潮文庫の加賀山拓朗氏による新訳版。

無実の罪で長年バスティーユに投獄されていたマネット医師は、娘のルーシーとともに銀行家ローリーの手で英国に移り住んだが、その後フランスでは革命の嵐が巻き起こる。ルーシーの夫でフランスの亡命貴族チャールズは、かつての使用人が有罪にされそうとの知らせを受けてフランスへ渡るが、革命の中核を担うドファルジュ夫人は彼を仇敵として狙っていた…

いやすごい。映画を見ているみたいに映像的。登場人物がかなり多いこともあって、前半はちょっと物語の運びが重いようにも思うが、最初はそれぞれの登場人物のエピソードがバラバラに語られているように見えながらラストに向かってぴったり収斂していくのは見事。フランス革命って日本ではどうしても「ベルばら」のイメージで語られちゃうけど、市井のレベルではこれほど悲惨だったというのが、アナトール・フランスの「神々は渇く」同様に強烈に描かれている。「神々は渇く」はかなり固い小説だったが、こちらはそこに一般の読者にも読みやすいであろう「チャールズ一家vsドファルジュ夫妻」の対立を盛り込んであるから、格調は下がるが小説としてすごく読みやすい。ネタバレを避けて詳しくは書かないが、特にラスト200ページくらいは怒涛の展開で息もつかせない。それまではただの家政婦だったミス・プロスが最後に大活躍したり、最後の方で登場する20歳のお針子がとても印象的。ただ、全体に誰が主役なのかイマイチはっきりしないのが唯一の弱点。最初からシドニー・カートンを主役に据えておけばもっとピントが定まった作品になったような気もするが、それは些末な事。

いやすごいもん読んだ。二億部は伊達じゃない。

ミッドナイト・スカイ

リリー・ブルックスダルトンの小説「世界の終りの天文台」を原作にNETFLIXで公開されたジョージ・クルーニー主演・監督による新作映画。

おそらくは核戦争で滅亡の淵に立たされた人類。刻々と放射能汚染が迫る中、科学者オーガスティンは取り残された謎の少女アイリスと二人だけで北極圏の天文台に残っていた。帰還途中の木星探査船アイテルに警告するため通信を試みようとするが、サリーたちが乗り組むアイテルのほうもトラブルを抱えていて…といった物語。

全体には絵的にも音的にもすごく静かな、抑制のきいた映画で、SF映画と聞いて一般の人たちが期待するような派手さは皆無。個人的には好きなタイプの作品。とは言え、まあSF映画ってどうしてもおかしな点がある。この作品でSF的におかしい点をまず挙げると、なんと言っても第1に探査船が訪れた木星の衛星K-23。木星の衛星なのに地球と似た環境があって人類の生息に適しているという点がまずおかしい。内惑星に比べ日射量も少ないし、木星の巨大な潮汐力を受けながら地球と似た環境を保持できるとは思えない。そこは目をつぶって、もしそんな星があったなら、とっくに発見されて話題になってるし、その星の名前だってすぐに何か普通の名前がついてK-23なんて符号で呼ばれているわけがない。

第2には探査船アイテルでの事故。デブリとの衝突が起こったら、少なくとも秒速数十キロでの衝突になるはずで、どんな微細なデブリが当たったとしてもマヤは即死のはずだ。またこういう事故が時折でも起こるようなら宇宙船はそういうデブリとの衝突を想定した作りになっているはずだと思う。

第3はアイテルは地球への帰還をあきらめ、地球でスイングバイをして木星へ戻ることにするが、乗組員のうち二人はシャトルで地球へ帰還する。スイングバイしようとしている宇宙船は相当なスピードなはずで、そこからシャトルで地球へ戻るというのはかなり無理があると思う。

それとSFではない部分だが、北極圏の厳寒の中海に落ちたら即凍死だと思うのだが…(きっと防寒用の服がウエットスーツみたいな作りだったのだと思う)

そういうアレレな点を別にしたら物語自体もゆっくりしたペースもかなり好きな映画だった。抑制のきいた音の使い方もいい。アイリスが現実にいたのか、それともオーガスティンのみた幻影なのかとか、人類滅亡の原因とかを気にする人が多いと思うが、それは些末な事だと思う。

インターステラー」プラス「渚にて」という風に言われてもいるが、まあ確かにその二つには似てるかな。ラストは少しだけ希望を残してエンド。あまりごちゃごちゃ言わずにゆっくり滅びを楽しんで観るべし。

ジャック・ヴァンス 復讐の序章

アメリカのSF作家ジャック・ヴァンスの「魔王子シリーズ」全5巻の第1巻。大学時代に読んで面白かったのでもう一度読んでみたくなって古本で第3巻まで購入。

これは主人公カーズ・ガーセンが、故郷の町を破壊して両親の命を奪った5人の犯罪者に復讐していくというミステリ要素もあるSFアクションもの。壮大な星間国家オイクメーニを舞台に、この作家ならではの各惑星の風物を盛り込んだなかでガーセンが敵を追い詰めていく。第1巻の標的は「災厄の」アトル・マラゲート。

オイクメーニの統治の及ばない星域「圏外」のある惑星でガーセンが知り合った探星士ティーハルトは、あるとても美しく価値が高いであろう星を発見したのだが、その星を巡ってマラゲート一派とトラブルになり殺害されてしまう。ティーハルトが見つけた星の情報が書かれたモニターを手に入れたガーセンは、このモニターを解読できるキーを持っているアヴェンテ沿海州立大学の高級職員3人のうち誰かがマラゲートだという事を突き止めるのだが、ガーセンと仲良くなった大学職員の女性パリス・アトロードがマラゲート一味に拉致されてしまう…。

各章の冒頭にオイクメーニの星々について解説された架空の書籍やインタビューからの引用などを配して、読み進むうちにこの世界の結構が見えてくる仕掛けになっていて、それが物語と一体になって世界がどんどん深まっていくのが何と言っても面白い。壮大な惑星系を持つリゲル星系の天文学的記述などSFファンならワクワクするところ(本当のところはリゲルは三重星で、そんな26個の惑星などはなさそうだが)。

ミステリとしては正直誰がマラゲートかという謎解きはそんなに難しいものではない。というか彼がスター・キングならば、スター・キングがどんな連中かわかっているガーセンにとってこの謎解きは自明のものだったはず。そういう点でミステリとしてはやや薄いし、昔のSFらしくギミックも単純ではあるのだが、敵の一味のキャラクターもみんなそれぞれ個性的だし、相当古い作品だがそんなに古さは感じさせず今読んでも十分面白い。

ところでこれ全5巻なんだけど、第4巻以降がかなり入手困難。第5巻に至ってはネットの古本屋さんでも全く見当たらない。レムやストルガツキーよりも古本が出回ってないってちょっと驚き。面白い事は折り紙付きなんだから、どこか復刊してくれないかな。