ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの、有名な「ソラリス」とほぼ同時期に書かれた傑作。多分15年ぶりくらいに再読。
宇宙飛行士ハル・ブレッグはアルデバランへの10年の探査行から地球に帰還するが、地球上では127年が経過していた。右も左もわからない未来社会に放り出されたハルは自分がいなかった間に人類に何が起こったのかを徐々に知ることになるが…
100年前の人が突然現代にタイムスリップしてきたら、PCやスマホはもちろん、TVも自動車も全く理解できないだろうと思う。いや30年前の自分が今の世界に突然置かれても同じようにスマホを理解するのに時間がかかるだろうし、自動車のエンジンのかけ方すらわからないのではないだろうか?
この作品の冒頭ではそういう未来社会で戸惑う主人公が見事に描かれて、読者も主人公と一緒に未来社会で迷うことになる。そしてこの作品のキモは、この社会の人々が全員「ベトリゼーション」という処置を受けていて、殺人など暴力的な事ができなくなっていることである。
ここで描かれた未来社会はいわゆる「共産主義ユートピア」である。あらゆる社会的サービスはすべて無料になっていて、有料なのは一部の贅沢品や嗜好品に限られる。「共産主義ユートピア」では社会の活力がなくなり、文明的な発展のスピードが遅くなるとはよく言われるが、この作品でも現代人の代表である主人公がそんな社会と折り合いがつくのかがこの作品のテーマとなる。
そこでふと思ったのだが、先日読んだ広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由の答えがここにあるのではないか、という事だ。すなわち文明は発展すると必ず共産主義を選ばざるを得なくなると仮定するのだ。共産主義は過剰で無駄な生産をほとんどしないので、単一の惑星という限られたリソースで文明が生き残るためには結局選択せざるを得ない社会体制なのかも知れない。逆に言えば浪費が激しく、目先の利益にこだわって先が見えない資本主義の文明は確実に滅ぶのだと考えてもいいと思う。しかしそうやって共産主義が成功してしまうと、もはやその文明は宇宙に発展する意義を失う。せいぜい自分とこの太陽系を開発して終わりになるはずだ。外宇宙まで広がっていこうと考えないのではないだろうか。この「星からの帰還」という作品には人々がそう考える理由まで書いてあるように思える。
まあそんなこんなで、宇宙飛行士の同僚オラフはこの世界に見切りをつけて、また宇宙へ行く準備に入るのだが、主人公ハルは地球に残ることを選択する。共産主義が嫌いだったはずのレムが、このラストを選択するのは不思議に思える。
レムの作品の中で女性がちゃんと登場するのはこれと「ソラリス」だけである。この作品は三人の主要な女性キャラが登場、しかも主人公はそのうち二人と深い仲になってしまう。そういう意味でもレムとしては破格の作品かも(笑)