スタニスワフ・レム 地球の平和

ついに刊行されたレムの「泰平ヨン」シリーズ最終作。長らく翻訳を待っていた作品をついに読むことができて大変嬉しい。

冷戦でエスカレートするばかりの軍備拡張に倦んだ各国の人々は、軍事産業をすべてAIに任せたうえで、月で行うことにする。しかしその後、地球上は平和になったのだが、月での軍備拡張レースがどうなっているのか全く分からない。そこで泰平ヨンを月に派遣することになる。ヨンは遠隔人という技術(遠隔操作できる、というよりも人が憑依できるアンドロイドのようなもの)を使って月に降り立つのだが…

泰平ヨンシリーズはこれまでに宇宙飛行士であるヨンが訪れた様々な星でのエピソードを描いた短編集「航星日記」、ヨンが地球で出会ったマッドサイエンティストなどについて書いた短編集「回想記」、薬物まみれの未来社会を描いた中編「未来学会議」、そして惑星エンチアでの二つの対照的な社会を訪れる長編「現場検証」の4冊が出ていて、それぞれが傑作なのだが、この「地球の平和」は「泰平ヨンシリーズ」ばかりでなく、「ソラリス」や「インヴィンシブル」をはじめとしたSF作品や、非文学の作品も含めてこれまでの作品の要素が随所にちりばめられたものになっていて、レムの集大成的な作品だと思う。遠隔人の開発の歴史は「回想記」のいくつかのエピソードを連想させるいかにも泰平ヨンシリーズらしいもので、この技術の登場が社会に及ぼす影響を面白おかしく書いてしまうところはさすがの一言。何種類もの違うタイプの遠隔人を操作したという設定で繰り返される月での「コンタクト」のヴァリエーションは圧巻だし、脳梁切断によりもう一つの人格ができてしまったヨンをめぐる部分ではドタバタにアレンジされているとはいえ、どことなく「ゴーレムXIV」のGOLEMとHONEST ANNIEの関係を連想させる。

第2章で兵器の進化についてのレムらしい考察が語られるが、これは「二十一世紀叢書」の「二一世紀の兵器システム、あるいは逆さまの進化」で考察されたこととほぼ同じで、最終兵器は核兵器などではなく、核爆発にも耐えうる(今風に言えば)超小型のドローン兵器だとしている。これは「インヴィンシブル」の「黒雲」にも似ている。現実世界でもドローン兵器が出現していることを考えるとレムの考察はかなり的を得ているのかもしれない。この「地球の平和」でも超小型ドローン兵器ともいえる分散型遠隔人が地球の文明を破壊する決定打になってしまう(この分散型遠隔人は「現場検証」に登場した「知精」を連想させる)。そして文明の破壊が地球の平和をもたらすというバッドエンド(いや、ハッピーエンドなのかも)はいかにもレムの創作の最後を飾る作品にふさわしい(いやこの後更なるバッドエンドの「大失敗」が書かれているわけだが)。

「LEM」という名称をさまざまに変化させたりするのも面白いし、ミステリ的な要素も入って読み応えがある。惑星エンチアの文化の記述に200ページを費やした(私はこれもとても好きなのだが)「現場検証」のような難渋さはなく、レムの作品としてはとても読みやすい作品だと思う。

これまでのシリーズがすべて深見弾氏の翻訳で出ていて、一人称が「吾輩」だったのだが今回は柴田文乃氏の翻訳で、一人称は「私」になっている。深見弾氏の翻訳も最近は大野典宏の手で一人称が「私」に改竄されつつあるが、ここはやっぱり「吾輩」で通してほしかった。「地球の平和」はシリーズの中ではかなりシリアスな要素が強い話だが、やはり法螺話的な部分も大きな割合を占めている作品だと思う。だからこそ諧謔を感じられる「吾輩」のほうがよかったように思う。

というわけでレムコレクション第二期、残る4冊も非常に楽しみ。それにしても「マゼラン雲」が翻訳できるんなら「主の変容病院」の続きも翻訳できないものか。

あとこの装丁はあまりにも奇抜すぎる。何とかならなかったのだろうか。