ケラー 白百合を紅い薔薇に

オーストリアの作家アーダルベルト・シュティフターが好きなのだが、彼の代表作で6作の短編からなる短編集「石さまざま」という作品がある。これが岩波文庫では『「水晶」ほか』とされて4作しか収録されていない。以前松籟社から2分冊で出ていたが現在は入手困難。ところがこれがすべて収録された本があった。中央公論社から昭和40年ごろに出た「世界の文学」第14巻である。これを中古で見つけたので購入したのだが、これはいかにも昔風の全集本で500ページ超で二段抜きの文字がびっしり詰まった本だ。これに「石さまざま」に先立って収録されていたのがスイスの作家ゴッドフリート・ケラーの「白百合を紅い薔薇に」という作品。全く知らない作家だし面白くなかったらやめようくらいのつもりで読みだした。

主人公ラインハルトは「君知るや 白百合を紅い薔薇に変える法を 接吻せよ色白のガラテアに 顔紅らめて笑うべし」という寓詩を見つけ、この寓詩を証明するために旅に出た。旅先で様々な女性と接吻してみるがなかなかこの通りにならない。ルチアという女性が暮らす屋敷にたどり着いたラインハルトはそこでルチアとその伯父を相手に様々な恋愛話を語り、聞くというもので、「千一夜物語」さながらの枠小説でもあり、そこに描写された様々な恋愛譚は教訓も含み、19世紀欧州における恋愛指南書の趣がある。枠の中で語られる話としては米国の富豪の息子に見初められて妻になった小間使いのレギーネの話、貧しい男爵夫人の話、ポルトガルの提督ドン・コレアの二つの結婚の話、ルチアの伯父の若い時の恋の話、そしてルチア自身の身の上話があり、どれもなかなか面白いし、特に「男爵夫人」の話のあとでルチアが女性らしい辛辣な意見を言うところも面白い。

正直物語自体はとても古臭い。しかし恋愛についての人々の気持ちそのものは現代も大して変わらない。巻末の解説によるとケラー自身は恋愛運には恵まれなかったようで、だからこそこういう小説が書けたのかもしれない。だからと言って女性の描写が甘いとかそういう感じはなく、彼の描く女性はヒロインであるルチアをはじめ皆が一見ナイーブに見えて実はしっかり芯が通っている。なので150年以上前の恋愛小説ではあるが、結構楽しく読めた。

というわけでこれで今年の読書は終わり。今年は夏に一か月ばかり入院したこともあって例年よりたくさん本を読んだ。ここに書かなかったものも入れたら60冊くらいになる。買ったまま読んでない本も多数ある。来年もぼちぼち読んでいこうと思う。

では皆さんよいお年を。来年もよろしくお願いします。

ショーン・タン 遠い国から来た話

今年は延べ一ヶ月にもわたる入院があって、その間ほぼ一日一冊くらい読んだし、トータルではかなり本を読んだ。このブログで記事にしただけで50冊。記事にしてないものもある(実は今月もタブッキを二冊再読した)し、それなりに感銘を受けた作品もあったのだけど、最後にこれで全部吹っ飛んだ。今年読んだ本の中でまぎれもないベストワンだ。

孫にクリスマスプレゼントは本と決めていて、プレゼントの本を探しに本屋さんの児童書コーナーで見つけたのがこの作家の「エリック」というちいさな本。これを読んでちょっと鳥肌がたくつらい感動したので、「エリック」のオリジナルも収められているという「遠い国から来た話」も買ってしまったのだ。

作者エリック・タンはオーストラリアの作家。細密なエッチングを思わせるモノクロのペン画から油彩らしき絵、書き文字を使ったコラージュまでかなり表現方法は幅広い。またアニメなども手掛けるのだそうだ。アカデミー賞を取ったこともあるらしい。

これは子供向きの絵本ではない。挿絵がたくさんあるひねりのきいた短編集といった趣だ。「エリック」もそうだけど、細かい内容としては正直よくわからない話が多い。だがこの人の作品はそういう捉え方で読むのではなく、わからないままでいいからありのままで受け入れて読むべきだと思う。はっきり言ってどの作品にもカタルシスも教訓もない。いや結末すらないような作品さえある。だがそこにはなぜか人生の真実が見え隠れしているように思う。

いくつか紹介しておく。「壊れたおもちゃ」謎の潜水服男が現れ、「ぼく」と兄さんは彼を意地悪なミセス・カタヤマの家に連れていく。オーストラリアには昔真珠採りの仕事をする日系人が多かったらしく、その辺の歴史も踏まえて読むとまた違う印象が出てくるちょっと深い作品。

「お祖父さんのお話」。お祖父さんはお祖母さんと結婚するために、リストを渡され、これに載っているものを探してこいと言われて旅に出る。苦難の末にリストに載っているものをほとんど見つけるのだが、あと二つがどうしても見つからない。あきらめかけた二人の間に険悪な空気が流れるが…というお話。この作品集中では一番「お話」らしい「お話」だと思う。挿画も一番充実した作品。

「棒人間たち」、「備えあれば」はなんだか不安になる作品。現代文明への警鐘というと大げさだが…

というわけで、これは大人にも子供にもぜひ読んでほしい本だ。ショーン・タン、ほかの作品も読みたい。

カウボーイビバップ

1999年に日本で製作された同名のアニメシリーズを海外のスタッフ・キャストでドラマ化したもの。全10回がNetflixで先日公開された。私は原作アニメのファンなので早速観た。日本語吹き替え版はアニメのオリジナルキャストというのも話題だったが、日頃映画もドラマも吹き替えは見ないのでこれも字幕版で視聴。 

メインのキャラはもちろんゲストキャラまで含めてアニメに登場したキャラクターを完全再現し、太陽系の各惑星をテラフォーミングして人類が居住していて雑多な文化を形成しているというあの独特の世界観を見事に映像化している。ジュン・チョーのスパイクは、最初はイメージが違うなあと思いながら見始めたけど、よくアニメのスパイクの立ち居振る舞いを研究してる。見てるうちに違和感はなくなった。黒人になったジェット、ラテン系のフェイも最初はあれれと思ったが、見てると全然気にならない。他のチョイ役キャラもよく実写化できてると思う。実写のビバップ号や各惑星の風物はかなりリアルに描かれている。でもってほとんど説明がないところもいい。

やはりドラマなので、アニメとは違う部分も多いのは仕方ないことなのだが、特に気になったのがアニメでのラスボスキャラだったヴィシャスと、事実上のヒロインであるジュリアのキャラクターだ。アニメではギャング団「レッド・ドラゴン」のメンバーだった主人公スパイクは親友だったヴィシャスとジュリアを奪い合った挙句、ヴィシャス一派の襲撃を受け、スパイクは死亡したとされ、ジュリアは逃亡したとなっていたが、こちらではスパイクが死亡したことになっているのは同じだが、ジュリアとヴィシャスは結婚(!)している。ヴィシャスがなんかいまいち凄味がないのも気になるが、アニメでは最高にかっこいい女性だったジュリアが、ドラマでは美人だけどそれ以外に特に魅力がない全然普通の女で、スパイクがなぜ惚れたのかさっぱりわからない点が大マイナス。

とはいえアニメとは違う方向に進むシーズンラストでは、ああそのためのキャラ変だったのかと納得。そして最後の最後にエドが登場。ああ第2シーズン早く観たい。

ところでNetflixさん、「スペースダンディ」も実写化してよ(笑)

モーリス・ルブラン 奇巌城

さて今回読んだのはルパンシリーズでも屈指の傑作とされていてファンも多い「奇巌城」。

ジェーブル伯爵邸で、殺人事件と絵画の盗難事件が発生。負傷したはずのルパンが見つからない中、高校生探偵イジドール・ボートルレが見事に謎を解く。やがて伯爵令嬢レイモンドが誘拐されるが、イジドールはルパンの残した暗号から「エギュイユ」と「クルーズ」の単語を読み取り、クルーズ県のエギュイユ城に幽閉されていたレイモンドを救出するが、それすらもルパンの策略だった…

まずこの作品の醍醐味が、なかなか翻訳では伝わらない。原題「L'Aiguille creuse(エギュイユ・クルーズ)」は「空洞の針」の意味で、これは実はエギュイユ城ではないある場所を示しているのだが、そもそもこの暗号はルイ14世が作ったもので、国家全体をも脅かす内容が含まれているという設定でなかなか壮大だし、暗号は比較的単純なものなのだが、それが(当然だが)アルファベットでないと理解できない暗号なので日本語で読むと伝わりにくいうえに、あちこち寄り道をする展開のせいかこの設定自体がうまく小説の内容に生かされていないようにも思う。一部の章だけで突然語り手が出てくるのも違和感が大きい。

それでも魅力のある作品であることに間違いはなく、青年探偵とルパンの知恵比べが非常に面白い。「あちこち寄り道をする展開」もミステリ作品としては決して悪くはないと思う。ラストはまるで「女王陛下の007」を思わせる悲しい幕切れ。もっとルパン自身が魅力的に描かれてたら本当に傑作だったと思うのだが。

それといつもながら「シャーロック・ホームズ」が登場するのが気に入らない。キャラが全く違うのだから原典通り「ハーロック・ショルムズ」にすればいいのに。

私が読んだのは集英社文庫の江口清訳の版。2011年の「ナツイチ」の特殊装丁だったらしく、天野明とかいう人(漫画家?)が描いたひどいイラストのカヴァーがついている。古本でなきゃ絶対買わん。

ペーテル・レンジェル オグの第二惑星

全く知らなかった作品だが、メルカリで見つけてしまった以上は東欧SF好きとしては外せないな、というわけで読んでみたハンガリーSF。

2600年前。宇宙探索から母星エーラに帰還した一隻の宇宙船があった。彼らは船内時間で20年に渡って様々な星々を旅してきたのだが、その間エーラでは700年が経過していた。その世界では人々は宇宙を開拓する情熱を失っていた。宇宙船で帰還したイゴ・ヴァンダルをはじめとする人々は、なぜエーラの人々が宇宙への情熱を失ったのか探るうちにそこにエーラの命運を左右する恐るべき侵略者の秘密が隠されていることに気づく。

前半はレムの『星からの帰還』みたいな、未来社会でまごつく人々について書く話になるのかと思いきや、700年も経っているのにカルチャーショックを受けるような描写は一切なく、事前に情報を得てはいたとはいえすぐに未来社会に馴染んでしまって拍子抜け。それから『三体』の劉慈欣原作Netflix映画『流転の地球』と同じように、星ごと他星系に移住しちゃうというかなり無茶な展開になる。そして二千数百年後、いよいよ侵略者との対決と思いきや、驚きの拍子抜けエンドへ。

まあハードSFといえばそうなんだけど、なかなか盛りだくさんで、やや盛りすぎた感があり、なんだか話があちこちに飛んでしまった印象。この一冊だけで3000年ものタイムスパンがあるわけで、そういう意味では途方もないスケールのでかい話だが、その割に内容としては結構ショボいかも。 タイムスケールが大きいので全編を通じての主人公がいるわけでもない。イゴ・ヴァンダルなんかは最後のほうでは伝説の人扱いになっている。地球人は最後の方でエーラ人と侵略者の戦いの決着について述べるだけの第三者的な視点の語り手として登場してくる。 タイトルの『オグの第二惑星』というのも最後の最後まで全く出てこない。

翻訳がいかにも古臭いのも気になる。 作者はハンガリー人で様々な英語作品をハンガリー語に翻訳している人のようだ。でもハンガリー人は苗字が先のはず。レンジェル・ペーテルが正しいと思う。

レーモン・クノー 人生の日曜日

前回短編集「あなたまかせの物語」が面白かったレイモン・クノー。この作家、フツーは「地下鉄のザジ」から読むんだろうけど、中古で出てたのでなんとなくこれを買って読んでみた。

1930年代後半のフランス。5年も兵役についていながら未だに二等兵のヴァランタンは20歳くらい年上のオールドミスで小間物屋を営むジュリアに見染められ結婚する。ヴァランタンは写真のフレームの販売を始めそれなりに店は繁盛するが、ある日ジュリアが倒れ彼女が内緒で営んでいた奇妙な副業を引き継ぐことになる... という基本線で、肝っ玉母さんのジュリアとのんびりしたヴァランタンの夫婦とその周りの人々が巻き起こす人情話的な作品。基本は楽しく読める喜劇的な小説なのだが、ナチスの足音がフレームの外から微かに聞こえてくるような冷やっこさがある。

巻末の解説でナチスによる占領という「終末」に絡めてすごく哲学的なややこしい事が書いてあるが、そんな深読みはせずにただの人情喜劇として読んでいいのではないだろうか。ただこの作品の場合時代背景が絶妙で、ナチスの脅威が迫る中の1930年代後半の数年間を背景に人情喜劇をやるというのが斬新。 特に終章は時期的に1940年夏の、ドイツ軍のパリ占領後になる。ここでは混乱の中パリに戻ろうとするヴァランタンと彼を探すジュリアを喜劇的に描いているが、実はこれ、かなり深刻な状況なのだ。

クノーと言えば前衛的な作品を書く人という印象もあるが、ここではそんなに斬新とか前衛的というのは感じないのだが、主人公の妻ジュリアの妹の夫ポールの苗字がプレトゥイヤ、プルデガ、ポテュガなどと記述されるたびに違う。これはいったいどういうつもりでこう書いたのか翻訳者も「あとがき」で首をひねっている。それと「ザジ」ではフランス語の通常に記述法を無視して発音通りに記述した部分があったりしたらしいので、この作品にもしそういう記述があっても翻訳ではその再現は難しいだろう。

クノー面白い。もうちょっと読んでみたい。

ただ、文庫で簡単に手に入る「ザジ」はともかく、同じお話を99種類の書き方で書いたというもう一つの代表作「文体練習」は2種類の翻訳があるがいずれも現在入手困難。これも含めて他の作品も軒並み中古でしか手に入らない状況だ。まあその時手に入る半から集めていくしかないかな。 

レーモン・クノー あなたまかせのお話

クノーは20世紀中盤に活躍したフランスの作家。 かなり前衛的な手法で作品を書いた作家らしいのだが、今回初めて読んだ。これは短編集で、彼の短編のほぼ全てが収められている。フランスでは長編小説のほうが圧倒的に人気があり、短編小説はあまり読まれないのだそうで、有名な「地下鉄のザジ」をはじめ長編小説をいくつも発表しているこの作家の残した短編もかなり少ない。

クノーは1960年代に登場した「ウリポ」と呼ばれる前衛作家集団のメンバーで、このグループは単語の置き換えとかある文字を全く使わないなど様々な前衛的な手法で新しい文学を模索したグループなのだが、そのメンバーらしくこの作品集も様々な小説のスタイルの短編が収められていて面白い。

冒頭の「運命」から独特の世界が展開する。この作品は非常に短い7章からなり、物語なのかどうかも怪しいようなとりとめのない文章が並ぶ。で、「この物語はちっとも面白くない」と人を食った終わり方をする。「その時精神は…」シュールレアリズムの文章。収録作の三つ目「パニック」からやっと普通の小説っぽいものが現れるが、それも何か不思議な話が多い。存在したのかどうかすらあやふやな犬が出てくる「ディノ」や、しゃべる馬がバーでくだをまく「トロイの馬」が印象的。「パリ近郊のよもやま話」「夢の話をたっぷりと」は物語の断片を集めただけの作品。「通りすがりに」はシチュエーションコメディみたいな戯曲だし、表題作「あなたまかせのお話」は、のちに流行したゲームブック(読み手が選択肢を選ぶことで物語の展開や結末が変わるというもの。筆者が中学生くらいの頃ちょっと流行した)を先取りした作品だったりとか、とにかく一風変わった作品ばかり。ちょっと変わった前衛的な小説を読みたい人にはおススメ。

巻末にはラジオで放送されたものから文字起こしされたという、文芸ジャーナリストジョルジュ・シャルポニエとの対談集レーモン・クノーとの対話」が100ページにわたって掲載されていて、これがまた面白い。クノーはフランス語の表記と発音のずれに違和感を持っていて、作中には伝統的な表記をせずに発音通りに表記した部分もあるのだそうだ(翻訳者は大変だ)。最後の方の「ウリポ」による実験小説の成果の話はとても興味深かった。 というわけで、レーモン・クノーちょっとハマるかも。