シュティフター 石さまざま

先日紹介したケラー「白百合を紅い薔薇に」とともに中央公論社「世界の文学」第14巻に収録されていたオーストリアの作家アーダルベルト・シュティフターの代表作。6作からなる短編集。前にも書いたが岩波文庫の「水晶 ほか3編」ではそのうち4作しか収録されておらず、今回残りの2作は初めて読んだ。

「みかげいし」は家の前にある、皆が腰かける御影石をきっかけに子供のころ祖父に聞いた、ペストが流行した時代に家族でただ一人生き残って山で暮らした少年と少女のお話を思い出す話。恐ろしくも美しく、ノスタルジックな不思議な感興をもたらす作品。ただ岩波文庫で「瀝青」としてあるところが「ピッチ」になっていて最初意味が分からず戸惑った。

石灰石は語り手の技師と荒涼たる集落に住む神父との交流の話。神父のキャラクターも印象的だし、嵐や洪水の描写が見事。この作家の作品は基本善意にあふれたものが多いがこれはその最たるものだと思う。翻訳では「牧師」となっているが、彼はカトリックなのでこれは明らかな間違い。のちの岩波文庫版でも「牧師」のままだ。なぜ「神父」に改めないのか意味が分からない。

今回初めて読んだ電気石は母の不倫の結果すべてを捨てた父の影響で社会から隔絶されて生きてきた少女の話。これだけは非常に暗澹たる話で、作品中かなり異色のものだ。ハッピーエンドなのが救いではあるが、ネグレクトをテーマにしていて現代にもありそうな話でもある。

「水晶」はこの作家の全作品中の白眉とされる作品。幼い兄妹が祖母の家からの帰途の山道で雪で道を見失い、奇跡的に生還する話だが、全編を通じて美しい自然描写が見事。翻訳では兄に従う妹の台詞「そうよ、コンラート」になにかひねりが欲しかった。

「白雲母」も今回初めて読んだ作品。幼い姉弟と仲良くなる山に住む少女の交流を描いている。彼女は、おそらくジプシーの娘なのだがその素性は最後まで語られない。危険な雹に襲われたとき、家が火事で全焼し弟が危険な状態になったとき彼女に救われるのだが、彼女はある日、「シュトゥーレ・ムーレが死んだ」と言い残して不意に姿を消してしまう。このセリフが最初のほうで祖母が姉弟に語った昔話にあった「シュトゥーム・ムーレに言っておくれ、ラウ・リンデが死んだとね」という台詞と響きあって不思議な読後感が残る。これはこの作品集のみならず、私が読んだ中ではシュティフターの全作品中でも一,二を争う傑作だと思う。個人的には「水晶」より好きなのだが、なぜ岩波文庫はこの作品を割愛したのか理解に苦しむ。

「石乳」はナポレオンの軍隊に攻め込まれ、戦争に巻き込まれた屋敷での恐怖の一夜とその顛末を描いた作品。これもきっちりハッピーエンドなのがいい。

どの作品も子供が危険な目にあって、それを人々やあるいは自然(神)が守るというパターンで、子供を社会の宝と考え、各々の個性を生かせる社会を心から求めていたこの作家らしい作品集だと思う。冒頭に置かれた「まえがき」は作品の柔らかいトーンとは全く異質な硬い文章ではあるが、個人の個性を尊重することが世界を良くするということを語っていて、作品世界と響きあっているのだ。

ただやっぱり翻訳が古い。後で出た岩波版は少し手が入っているとはいえ、古さは否めない。松籟社版は違う翻訳なので読んでみたいなあ。

スタニスワフ・レム 地球の平和

ついに刊行されたレムの「泰平ヨン」シリーズ最終作。長らく翻訳を待っていた作品をついに読むことができて大変嬉しい。

冷戦でエスカレートするばかりの軍備拡張に倦んだ各国の人々は、軍事産業をすべてAIに任せたうえで、月で行うことにする。しかしその後、地球上は平和になったのだが、月での軍備拡張レースがどうなっているのか全く分からない。そこで泰平ヨンを月に派遣することになる。ヨンは遠隔人という技術(遠隔操作できる、というよりも人が憑依できるアンドロイドのようなもの)を使って月に降り立つのだが…

泰平ヨンシリーズはこれまでに宇宙飛行士であるヨンが訪れた様々な星でのエピソードを描いた短編集「航星日記」、ヨンが地球で出会ったマッドサイエンティストなどについて書いた短編集「回想記」、薬物まみれの未来社会を描いた中編「未来学会議」、そして惑星エンチアでの二つの対照的な社会を訪れる長編「現場検証」の4冊が出ていて、それぞれが傑作なのだが、この「地球の平和」は「泰平ヨンシリーズ」ばかりでなく、「ソラリス」や「インヴィンシブル」をはじめとしたSF作品や、非文学の作品も含めてこれまでの作品の要素が随所にちりばめられたものになっていて、レムの集大成的な作品だと思う。遠隔人の開発の歴史は「回想記」のいくつかのエピソードを連想させるいかにも泰平ヨンシリーズらしいもので、この技術の登場が社会に及ぼす影響を面白おかしく書いてしまうところはさすがの一言。何種類もの違うタイプの遠隔人を操作したという設定で繰り返される月での「コンタクト」のヴァリエーションは圧巻だし、脳梁切断によりもう一つの人格ができてしまったヨンをめぐる部分ではドタバタにアレンジされているとはいえ、どことなく「ゴーレムXIV」のGOLEMとHONEST ANNIEの関係を連想させる。

第2章で兵器の進化についてのレムらしい考察が語られるが、これは「二十一世紀叢書」の「二一世紀の兵器システム、あるいは逆さまの進化」で考察されたこととほぼ同じで、最終兵器は核兵器などではなく、核爆発にも耐えうる(今風に言えば)超小型のドローン兵器だとしている。これは「インヴィンシブル」の「黒雲」にも似ている。現実世界でもドローン兵器が出現していることを考えるとレムの考察はかなり的を得ているのかもしれない。この「地球の平和」でも超小型ドローン兵器ともいえる分散型遠隔人が地球の文明を破壊する決定打になってしまう(この分散型遠隔人は「現場検証」に登場した「知精」を連想させる)。そして文明の破壊が地球の平和をもたらすというバッドエンド(いや、ハッピーエンドなのかも)はいかにもレムの創作の最後を飾る作品にふさわしい(いやこの後更なるバッドエンドの「大失敗」が書かれているわけだが)。

「LEM」という名称をさまざまに変化させたりするのも面白いし、ミステリ的な要素も入って読み応えがある。惑星エンチアの文化の記述に200ページを費やした(私はこれもとても好きなのだが)「現場検証」のような難渋さはなく、レムの作品としてはとても読みやすい作品だと思う。

これまでのシリーズがすべて深見弾氏の翻訳で出ていて、一人称が「吾輩」だったのだが今回は柴田文乃氏の翻訳で、一人称は「私」になっている。深見弾氏の翻訳も最近は大野典宏の手で一人称が「私」に改竄されつつあるが、ここはやっぱり「吾輩」で通してほしかった。「地球の平和」はシリーズの中ではかなりシリアスな要素が強い話だが、やはり法螺話的な部分も大きな割合を占めている作品だと思う。だからこそ諧謔を感じられる「吾輩」のほうがよかったように思う。

というわけでレムコレクション第二期、残る4冊も非常に楽しみ。それにしても「マゼラン雲」が翻訳できるんなら「主の変容病院」の続きも翻訳できないものか。

あとこの装丁はあまりにも奇抜すぎる。何とかならなかったのだろうか。

ケラー 白百合を紅い薔薇に

オーストリアの作家アーダルベルト・シュティフターが好きなのだが、彼の代表作で6作の短編からなる短編集「石さまざま」という作品がある。これが岩波文庫では『「水晶」ほか』とされて4作しか収録されていない。以前松籟社から2分冊で出ていたが現在は入手困難。ところがこれがすべて収録された本があった。中央公論社から昭和40年ごろに出た「世界の文学」第14巻である。これを中古で見つけたので購入したのだが、これはいかにも昔風の全集本で500ページ超で二段抜きの文字がびっしり詰まった本だ。これに「石さまざま」に先立って収録されていたのがスイスの作家ゴッドフリート・ケラーの「白百合を紅い薔薇に」という作品。全く知らない作家だし面白くなかったらやめようくらいのつもりで読みだした。

主人公ラインハルトは「君知るや 白百合を紅い薔薇に変える法を 接吻せよ色白のガラテアに 顔紅らめて笑うべし」という寓詩を見つけ、この寓詩を証明するために旅に出た。旅先で様々な女性と接吻してみるがなかなかこの通りにならない。ルチアという女性が暮らす屋敷にたどり着いたラインハルトはそこでルチアとその伯父を相手に様々な恋愛話を語り、聞くというもので、「千一夜物語」さながらの枠小説でもあり、そこに描写された様々な恋愛譚は教訓も含み、19世紀欧州における恋愛指南書の趣がある。枠の中で語られる話としては米国の富豪の息子に見初められて妻になった小間使いのレギーネの話、貧しい男爵夫人の話、ポルトガルの提督ドン・コレアの二つの結婚の話、ルチアの伯父の若い時の恋の話、そしてルチア自身の身の上話があり、どれもなかなか面白いし、特に「男爵夫人」の話のあとでルチアが女性らしい辛辣な意見を言うところも面白い。

正直物語自体はとても古臭い。しかし恋愛についての人々の気持ちそのものは現代も大して変わらない。巻末の解説によるとケラー自身は恋愛運には恵まれなかったようで、だからこそこういう小説が書けたのかもしれない。だからと言って女性の描写が甘いとかそういう感じはなく、彼の描く女性はヒロインであるルチアをはじめ皆が一見ナイーブに見えて実はしっかり芯が通っている。なので150年以上前の恋愛小説ではあるが、結構楽しく読めた。

というわけでこれで今年の読書は終わり。今年は夏に一か月ばかり入院したこともあって例年よりたくさん本を読んだ。ここに書かなかったものも入れたら60冊くらいになる。買ったまま読んでない本も多数ある。来年もぼちぼち読んでいこうと思う。

では皆さんよいお年を。来年もよろしくお願いします。

ショーン・タン 遠い国から来た話

今年は延べ一ヶ月にもわたる入院があって、その間ほぼ一日一冊くらい読んだし、トータルではかなり本を読んだ。このブログで記事にしただけで50冊。記事にしてないものもある(実は今月もタブッキを二冊再読した)し、それなりに感銘を受けた作品もあったのだけど、最後にこれで全部吹っ飛んだ。今年読んだ本の中でまぎれもないベストワンだ。

孫にクリスマスプレゼントは本と決めていて、プレゼントの本を探しに本屋さんの児童書コーナーで見つけたのがこの作家の「エリック」というちいさな本。これを読んでちょっと鳥肌がたくつらい感動したので、「エリック」のオリジナルも収められているという「遠い国から来た話」も買ってしまったのだ。

作者エリック・タンはオーストラリアの作家。細密なエッチングを思わせるモノクロのペン画から油彩らしき絵、書き文字を使ったコラージュまでかなり表現方法は幅広い。またアニメなども手掛けるのだそうだ。アカデミー賞を取ったこともあるらしい。

これは子供向きの絵本ではない。挿絵がたくさんあるひねりのきいた短編集といった趣だ。「エリック」もそうだけど、細かい内容としては正直よくわからない話が多い。だがこの人の作品はそういう捉え方で読むのではなく、わからないままでいいからありのままで受け入れて読むべきだと思う。はっきり言ってどの作品にもカタルシスも教訓もない。いや結末すらないような作品さえある。だがそこにはなぜか人生の真実が見え隠れしているように思う。

いくつか紹介しておく。「壊れたおもちゃ」謎の潜水服男が現れ、「ぼく」と兄さんは彼を意地悪なミセス・カタヤマの家に連れていく。オーストラリアには昔真珠採りの仕事をする日系人が多かったらしく、その辺の歴史も踏まえて読むとまた違う印象が出てくるちょっと深い作品。

「お祖父さんのお話」。お祖父さんはお祖母さんと結婚するために、リストを渡され、これに載っているものを探してこいと言われて旅に出る。苦難の末にリストに載っているものをほとんど見つけるのだが、あと二つがどうしても見つからない。あきらめかけた二人の間に険悪な空気が流れるが…というお話。この作品集中では一番「お話」らしい「お話」だと思う。挿画も一番充実した作品。

「棒人間たち」、「備えあれば」はなんだか不安になる作品。現代文明への警鐘というと大げさだが…

というわけで、これは大人にも子供にもぜひ読んでほしい本だ。ショーン・タン、ほかの作品も読みたい。

カウボーイビバップ

1999年に日本で製作された同名のアニメシリーズを海外のスタッフ・キャストでドラマ化したもの。全10回がNetflixで先日公開された。私は原作アニメのファンなので早速観た。日本語吹き替え版はアニメのオリジナルキャストというのも話題だったが、日頃映画もドラマも吹き替えは見ないのでこれも字幕版で視聴。 

メインのキャラはもちろんゲストキャラまで含めてアニメに登場したキャラクターを完全再現し、太陽系の各惑星をテラフォーミングして人類が居住していて雑多な文化を形成しているというあの独特の世界観を見事に映像化している。ジュン・チョーのスパイクは、最初はイメージが違うなあと思いながら見始めたけど、よくアニメのスパイクの立ち居振る舞いを研究してる。見てるうちに違和感はなくなった。黒人になったジェット、ラテン系のフェイも最初はあれれと思ったが、見てると全然気にならない。他のチョイ役キャラもよく実写化できてると思う。実写のビバップ号や各惑星の風物はかなりリアルに描かれている。でもってほとんど説明がないところもいい。

やはりドラマなので、アニメとは違う部分も多いのは仕方ないことなのだが、特に気になったのがアニメでのラスボスキャラだったヴィシャスと、事実上のヒロインであるジュリアのキャラクターだ。アニメではギャング団「レッド・ドラゴン」のメンバーだった主人公スパイクは親友だったヴィシャスとジュリアを奪い合った挙句、ヴィシャス一派の襲撃を受け、スパイクは死亡したとされ、ジュリアは逃亡したとなっていたが、こちらではスパイクが死亡したことになっているのは同じだが、ジュリアとヴィシャスは結婚(!)している。ヴィシャスがなんかいまいち凄味がないのも気になるが、アニメでは最高にかっこいい女性だったジュリアが、ドラマでは美人だけどそれ以外に特に魅力がない全然普通の女で、スパイクがなぜ惚れたのかさっぱりわからない点が大マイナス。

とはいえアニメとは違う方向に進むシーズンラストでは、ああそのためのキャラ変だったのかと納得。そして最後の最後にエドが登場。ああ第2シーズン早く観たい。

ところでNetflixさん、「スペースダンディ」も実写化してよ(笑)

モーリス・ルブラン 奇巌城

さて今回読んだのはルパンシリーズでも屈指の傑作とされていてファンも多い「奇巌城」。

ジェーブル伯爵邸で、殺人事件と絵画の盗難事件が発生。負傷したはずのルパンが見つからない中、高校生探偵イジドール・ボートルレが見事に謎を解く。やがて伯爵令嬢レイモンドが誘拐されるが、イジドールはルパンの残した暗号から「エギュイユ」と「クルーズ」の単語を読み取り、クルーズ県のエギュイユ城に幽閉されていたレイモンドを救出するが、それすらもルパンの策略だった…

まずこの作品の醍醐味が、なかなか翻訳では伝わらない。原題「L'Aiguille creuse(エギュイユ・クルーズ)」は「空洞の針」の意味で、これは実はエギュイユ城ではないある場所を示しているのだが、そもそもこの暗号はルイ14世が作ったもので、国家全体をも脅かす内容が含まれているという設定でなかなか壮大だし、暗号は比較的単純なものなのだが、それが(当然だが)アルファベットでないと理解できない暗号なので日本語で読むと伝わりにくいうえに、あちこち寄り道をする展開のせいかこの設定自体がうまく小説の内容に生かされていないようにも思う。一部の章だけで突然語り手が出てくるのも違和感が大きい。

それでも魅力のある作品であることに間違いはなく、青年探偵とルパンの知恵比べが非常に面白い。「あちこち寄り道をする展開」もミステリ作品としては決して悪くはないと思う。ラストはまるで「女王陛下の007」を思わせる悲しい幕切れ。もっとルパン自身が魅力的に描かれてたら本当に傑作だったと思うのだが。

それといつもながら「シャーロック・ホームズ」が登場するのが気に入らない。キャラが全く違うのだから原典通り「ハーロック・ショルムズ」にすればいいのに。

私が読んだのは集英社文庫の江口清訳の版。2011年の「ナツイチ」の特殊装丁だったらしく、天野明とかいう人(漫画家?)が描いたひどいイラストのカヴァーがついている。古本でなきゃ絶対買わん。

ペーテル・レンジェル オグの第二惑星

全く知らなかった作品だが、メルカリで見つけてしまった以上は東欧SF好きとしては外せないな、というわけで読んでみたハンガリーSF。

2600年前。宇宙探索から母星エーラに帰還した一隻の宇宙船があった。彼らは船内時間で20年に渡って様々な星々を旅してきたのだが、その間エーラでは700年が経過していた。その世界では人々は宇宙を開拓する情熱を失っていた。宇宙船で帰還したイゴ・ヴァンダルをはじめとする人々は、なぜエーラの人々が宇宙への情熱を失ったのか探るうちにそこにエーラの命運を左右する恐るべき侵略者の秘密が隠されていることに気づく。

前半はレムの『星からの帰還』みたいな、未来社会でまごつく人々について書く話になるのかと思いきや、700年も経っているのにカルチャーショックを受けるような描写は一切なく、事前に情報を得てはいたとはいえすぐに未来社会に馴染んでしまって拍子抜け。それから『三体』の劉慈欣原作Netflix映画『流転の地球』と同じように、星ごと他星系に移住しちゃうというかなり無茶な展開になる。そして二千数百年後、いよいよ侵略者との対決と思いきや、驚きの拍子抜けエンドへ。

まあハードSFといえばそうなんだけど、なかなか盛りだくさんで、やや盛りすぎた感があり、なんだか話があちこちに飛んでしまった印象。この一冊だけで3000年ものタイムスパンがあるわけで、そういう意味では途方もないスケールのでかい話だが、その割に内容としては結構ショボいかも。 タイムスケールが大きいので全編を通じての主人公がいるわけでもない。イゴ・ヴァンダルなんかは最後のほうでは伝説の人扱いになっている。地球人は最後の方でエーラ人と侵略者の戦いの決着について述べるだけの第三者的な視点の語り手として登場してくる。 タイトルの『オグの第二惑星』というのも最後の最後まで全く出てこない。

翻訳がいかにも古臭いのも気になる。 作者はハンガリー人で様々な英語作品をハンガリー語に翻訳している人のようだ。でもハンガリー人は苗字が先のはず。レンジェル・ペーテルが正しいと思う。