三秋縋 君の話

2018年に単行本で出た時少し気になったのだのが、なかなか買う気にはなれずにいたらいつのまにか文庫化されていたので購入して読んでみた。

記憶を自由に操作できる世界。そんな世界で無為な人生を送ってきた主人公の青年千尋はある日なにもいいことがなかった少年時代の記憶を消すことにするが、誤って存在しない幼馴染、灯花の記憶を植え付けられてしまう。不本意ではありながらその甘い記憶を消せずにためらっていたある日、存在しないはずの灯花が目の前に現れる…

この三秋縋という作家は全く知らないが、これはとにかく非常に村上春樹的な作品。語り口といい主人公の孤独ぶりや先輩のスーパーマンぶりなど、様々な要素で村上春樹の作品を連想させる。私は村上春樹は大嫌いで数作しか読んでいないのだが、それでもこの作品と「ノルウェイの森」の共通点をいくつか挙げることができる。だが、そんなアンチハルキストの私がこれをすんなり読めたのは、村上春樹にありがちな「傲慢な主人公」「無意味なセックス描写」「やたらに音楽・芸術について蘊蓄を垂れる」などのマイナスポイントがないからだと思う。

というわけで非常に面白く読んだ。主人公が無気力な青年のはずなのにどことなくアクティブなのがちょっと気になるが、変わった設定の青春小説としてはかなりいい線行ってると思う。途中(B面)から灯花の目線になって謎解きが展開する仕掛けなどなかなか巧みに書かれていて感心した。SFとしての仕掛けは「ナノマシンを使用することで記憶を自由に操作できる」の一点につきるのだが、この技術が新型アルツハイマー病の治療研究から生み出されたという設定もなかなかリアルで、その不治の病である新型アルツハイマーにヒロインが冒されているというのは、最近の小説や映画の世界でよくあるパターンだが、「君の膵臓を食べたい」あたりの、何の病気やらよくわからないのよりはずっとリアルな話に思える。

しかし、SFとしては物足りない。記憶を操作できる技術が普通にある世界に対する考察が足りない。記憶を自由に消したり、事実でない記憶(作中では「義憶」と呼ぶ)を追加できたりするのなら、犯罪捜査など不可能になってしまうし、作中にあったように主人公の母が主人公の記憶を消去してしまったとしても、母親である以上息子に対する義務や権利は残るわけで、そういうことを考えていくと、この技術を(医療などの目的以外で)用いるのは相当社会的な影響が大きく、一般的な実用化はためらわれることになると思われる。その辺りをクリアして普通に使われた場合は、義憶を買うことで知識や技術も強化できるはずで、それなら学校などに通う必要もなくなりそうだ。そのあたりの考察がいまいち物足らない。そこが先日読んだ伴名練「ひかりよりも速く、ゆるやかに」などに及ばないと思ってしまう。

それとなぜ日本の小説ってこんなにウエットなんだろう。読みやすいのはいいがなんだが湿っぽくて、特に今の季節には良くない。