平野啓一郎 マチネの終わりに

実は昨日から入院してて、長引くかもしれないので多めに本を持ち込んだ。その一冊めを早速読んだ。なんか映画化もされてるみたいなので面白いかなと思って読んでみたのだが、なんじゃこれ。アホみたいな恋愛小説。マジ薄っぺらい。

40歳前後の男女、世界的なクラシックギタリストの男と世界中を飛び回るジャーナリストの女の恋愛を描いた作品なのだが...

そりゃまあ3回しか会ってなくても好きになることはあるだろう。でも唐突な別れ話を会わずに、携帯で通話すらせずにメールだけで済ませてしまうとかあり得ない。

知らないアドレスから届いたメールは開かないのが常識。洋子が早苗のアドレスから届いた(実際には送信すらされなかったのだけど)メールを見なかった可能性も高いのだから薪野は自分の家からメールを送信できるようになった時点でもう一度初めから説明すべきだった。

主人公の二人も揃って性格に難があるし、ヒロインが世界的に高名な映画監督の娘だと言う設定からしていかにもスノッブで特別感を醸し出してる。そんな二人の会話に登場する音楽や芸術についての記述も押し付けがましい。「ケージの『4分33秒』を演奏するのに云々」とかいかにも音楽通気取りの胡散臭いことを説明もなしに書くかと思えば、普通使わない漢字表記(「到頭」とか「固より」など)があるのもどういいつもりで使っているのか。

登場人物の女性の名前が「洋子」「早苗」と古臭いのも気になる。

大体リサイタルの後半だけで無伴奏チェロ組曲3曲も演奏するとかありえない。ちょうどCD1枚分の長さ。それだけでリサイタル全体になるはずだ。

「現在・未来の行動で過去が書き換わる」というのは面白い発想でいいと思うんだけど、それが物語にうまく反映されていない。結局アホみたいな男女のすれ違い恋愛話に芸術や、混迷するイラク情勢や震災といった世界の問題をまぶして味付けしただけの中身のない作品だった。残念。