梨木香歩 海うそ

200ページくらいの短い作品なのにその鬱蒼とした世界に迷い込んだようになってなかなか読み進めず、読むのに薄い本なのに2週間ほどかかってしまった。
しかし、最後の100ページくらいは一気に読んだ。この人の作品にはどれもびっしり植物が生えているイメージがあるが、これも読みながら草いきれにむせ返りそうになる。前半、というかメインの150ページは学術調査のために主人公秋野が戦前に遅島を訪ねた時の手記の形で書かれ、その時代の時点ですでに忘れ去られようとしている島の歴史・伝承を調査していくさまが描かれる。そこに終盤の50年後のエピソードが加わるのだが、これが衝撃的。50年後に再訪した遅島は、開発の名のもとに掘り返されて元の島の面影はほとんど残っていない。振り返ってみれば、実際身近にもこういうことはいくらでも起こっているのではないだろうか。こうして私たちは何を無くして来たのだろうか。
作中の「遅島」は南九州の離島とされているが、80年代に本土と橋で繋がったような島で隠れ切支丹もいないというのは九州にはないと思う。これは完全に架空の島だ。そんな島を自然や風物、埋もれかけて知る者も少ない歴史など、これだけ濃密に描いてしまう梨木香歩さんはいつもながらすごい。
主人公の過去を匂わせながら明示しない運びも、ラストで冒頭の、たらい船で温泉へ向かう光景を回想するのも印象的。お見事。