ストルガツキー ラドガ壊滅

ソ連・ロシアのSF作家アルカジー&ボリス・ストルガツキーの作品はほとんどすべて読んできたのだが、最後に残ったのがこの「ラドガ壊滅」。昭和42年(1967年)に大光社という出版社から出て以来再刊されることもなく、すっかり幻の本となっていて中古市場でも2万円とかで取引されてきた超レア本で、読める日は来ないものとほとんど諦めていた作品だったが、この度2500円ほどの常識的な価格で入手してついに読むことができた。

惑星ラドガ(「虹」の意)には物質を瞬間移動させる「ゼロ転送」という技術を研究する施設があり、多数の科学者やその家族が暮らしている。ところがある日ゼロ転送の実験中にその副作用として「波」という現象が発生。これは生物に致命的な影響を与えるもので、今回発生したものは二つの波に分かれて惑星全体に影響を与えることが分かった。ところがラドガには現在、小型の宇宙船タリエリ2号しかなく、脱出できるのは限られた人数だけだった…

という破滅ネタのSFなのだが、ここに登場する人々は共産主義の成果なのか非常に良識的で、生存するためにパニックに陥ったりとか醜い争いを起こしたりすることはない。誰を救うかという問題も、有力者とかではなく子供たちを救うことですぐに意見の一致をみる。今同じテーマでSF作品を書けば、こういう風にはできない。この作品に描かれたようなことは、共産主義が理想的に発展した世界でなければありえないと思う。ソビエト社会主義に懐疑的だったストルガツキーが、一触即発だった冷戦時代にこれを書いているわけで、世界の終わりが来たならば、われわれの指導者は誰を救うかを選ばなければならない時にどんな決断をするのだろうかと問いかけていたのかもしれない。

カミールという登場人物が出てきて、死んだと思ったら死なない。彼は最後の方で「私は『悪魔の12人組』のひとり」と打ち明けるのだが、この『悪魔の12人組』が何なのか全く分からない。どこかに書いてあったのだろうか。

さてストルガツキーの全作品のうちの1/3ほどは同じ世界を舞台にした「Noon Univers」と呼ばれる連作なのだが、この「ラドガ壊滅」はその連作の最初期の時代が描かれた作品で、主人公の一人は後の作品にも至る所に顔を出すレオニード・ゴルボフスキーである。ということは、私は後の作品を知っているので、私にとっては最初から少なくともゴルボフスキーだけは生き残ることが確定しているわけで、彼がどう生き残るのかが興味の中心だった。タリエリ2号の船長であるゴルボフスキーは宇宙船で脱出するのだろうと思ったのだが、ラスト近くでラドガに残ってしまう。そしてこの作品は彼が海辺に座って心静かに「波」を待ち受けるシーンで終わってしまう。この後何が起こって彼は生き延びたのだろうか。

ちなみに、この作品とほとんど同じ時代を描いた短編「さすらいの旅を続ける者たちについて」ではゴルボフスキーとワリケンシュタイン、それにトーリア・オボーゾフの三人が、後に「遍歴者」と呼ばれる超文明によっていつの間にか体に発信機のようなものを仕込まれてしまっていて、オボーゾフはパンドラに住み着いてしまい、ワリケンシュタインは海底ステーションで働いていると言う。「ラドガ」にはオボーゾフは登場しないがワリケンシュタインは登場する。ということは「ラドガ」は「さすらいの…」よりも前の出来事であると考えられる。ワリケンシュタインは宇宙船に乗らずラドガに残り、ラストで恋人のアーリャとともにゴルボフスキーと別れるシーンがある。ということは彼もその後ラドガでの破滅を生き残ったと考えられる(海底ステーションにこもったのがこれより前とは考えにくい)わけで、ゴルボフスキーと彼だけが生き残ると言うのは考えにくい。ということはこの作品で描かれた「波」はたいした被害を起こさずに済んだのかもしれない。

ゴルボフスキーはこの後異星人レオニーダとファースト・コンタクトし、コムコン2と呼ばれる組織の中核的存在となり、シリーズ終盤の「蟻塚の中のかぶと虫」「波が風を消す」では主人公マクシムの上司として伝説的な人物になっている。日本では未訳の「Disquiet」では惑星パンドラでの活躍が描かれているらしい。これぜひ翻訳してほしいんだけど「そろそろ登れカタツムリ」の初稿扱いでは無理なのだろうか。