プーと大人になった僕

ディズニーは最近以前ヒットした名作アニメを次々に実写化映画化しているのだが、「シンデレラ」「美女と野獣」「アラジン」のようにアニメのストーリーをそのまんま実写化したものと「マレフィセント」「メリー・ポピンズ・リターンズ」のように旧作の続編もしくは改変ものがある。正直まんま実写化しても全然面白くないと思う。「美女と野獣」なんてエマ・ワトソンのベルがかわいい!とか言っているのも今のうちで、2~30年もたったらあらエマ・ワトソン若い時は可愛かったのにねえ、となって結局アニメの方が生き残ると思うんだ。

かといって続編・改変物は結局アニメあってのものだし、「マレフィセント」はあの名作「眠れる森の美女」に登場したディズニー史上最凶最悪の悪の魔法使いマレフィセントという強烈キャラをヒロインに据えて、彼女がなぜ悪に染まったのかを描くためにオリジナルでは善良な王様であったステファン王(オーロラの父)を悪役に据えてしまうという暴挙。この映画には本当にがっかりした。

というわけでこの「プーと大人になった僕」だが、邦題通り「くまのプーさん」のクリストファー・ロビンが大人になった物語。仕事に追われ家族を顧みないクリストファーの元にプーがやってきて、それをきっかけにクリストファーは家族の絆を取り戻していく。というわけでもういかにもディズニーらしいテンプレ通りの作品だ。まあそこそこ楽しくてそこそこ感動もするが、強烈な蛇足感が残る。

そもそも「くまのプーさん」の物語はもともとクリストファーのごっこ遊びに過ぎなったはず。それなのにクリストファー自身と、子供である娘のマデリーンはともかく、その他の登場人物全員がプーたちが動き喋ることを認識するのはおかしいのではないだろうか。

そもそもプーたちに「なにもしないこと」の良さを主張させておいて、こんな蛇足としか思えない映画を作っちゃうのはどういうつもりなのだろう。こんな映画を作るのはやめて「なにもしない」ほうがいいに決まっている。

さらに、私は字幕派なので関係ないが、吹替え版は堺雅人の吹替えでユアン・マクレガー半沢直樹になっているらしい。