機動戦士ガンダムNT

ガンダムの最新劇場版作品。ガンダムでTVアニメの編集版や続編とかOVAの劇場公開版以外でオリジナルの劇場用作品というのは実に「F91」以来なんだとか。

「NT」は「ナラティヴ」の略で、もちろん「ニュータイプ」の意味も重ねてあるわけだが、なぜ「語り部(ナラティヴ)」なのかはよくわからない。

この作品はユニコーンガンダムの物語から一年後が舞台。ユニコーンガンダムバンシィは人類の手に余るオーバースペックを理由に封印されていた。ところがユニコーンと同型の謎の黄金のモビルスーツフェネクスが出没。実は開発中の数年前に行方不明になっていた機体だった。ルオ商会の次女で養女のミシェルは、子供時代に住んでいたオーストラリアで友人のヨナ、リタとともにコロニー落としを予言し「奇跡の子供たち」と呼ばれ、そのニュータイプとしての素質を見込まれてルオ商会の養女になったのだが、実は真のニュータイプだったのはリタだけだった。フェネクスパイロットがリタだと聞いて、連邦軍の平凡なパイロットとして働いていたヨナはミシェルの考案したある作戦に参加することになる。

ガンダムというと冨野氏の作品で言えば、ファースト、ゼータ、ダブルゼータ逆襲のシャアまでとその後の時代を描いたF91、V、ターンエーでは大きく違う点がある(冨野監督作としてはもう一作あるがあれは私はガンダムとして認めてない)。それは前四作では物語の中心に置かれていた「ニュータイプ」という言葉が、後の時代の三作では全く語られないという点である。「F91」では「ニュータイプ」と呼ばれたシーブックニュータイプの定義を問われて「パイロット特性のある人の事ですよ」と答えていることからも窺えるように、この時代ではニュータイプという言葉がすでに死語に近いものになっているのだ。そして前四作で「ニュータイプ」を描くときに発生した、テレパシーや死者との会話、さらには物理法則を無視した超常現象などといったオカルト現象が後三作ではほとんど発生しない。それはなぜかが、この作品で解説されているのだ。

逆シャア」「UC」ではサイコフレームという技術のせいで、人類の意思の力が極端に増幅されてオカルト現象が起きる。機体としてのユニコーンガンダムシリーズはその頂点に立つものだ。その極端な性能はもはやオーパーツと言えるもので、だからこそこの後完全に封印されてサイコフレームのない「F91」の時代へ繋がっていく。「UC」やこの「NT」で描かれたようにサイコフレームがあるとフツーの人でもニュータイプと同等の力を持つ事になる。こうなるとそもそもアムロやララアはともかく、カミーユあたりが本当にニュータイプだったのかさえ疑問に思えてくる。単に少し勘がいいだけの人物が、サイコフレームの原型のような技術が使われた機体に乗ることでニュータイプとして開花した(ように見えた)だけではないのか。

ここではサイコフレームという技術を死者との交信に使おうと考えたミシェルとその失敗を通じて、サイコフレームは残留思念をとどめるだけだということが明らかになり、オカルト的なものを否定し封印する方向の結末へ向かう。というわけで、これまでのオカルトガンダムの流れの終点に立つ作品、だと言っていいと思う。

残念ながら劇場版としては作画はかなり雑。敵キャラも魅力に欠ける。演出的にも途中までリタの目を描かないのはなにか意味があっただろうか。