内田洋子 モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語

最近全然本が読めてないのはアマプラで「ゲーム・オブ・スローンズ」を毎日観てる全く本を読む時間が全くないからだ。このドラマは本当にすごい。しかし全73話だったか観るのはなかなかハード。とはいえもう50話過ぎた。まあそれは観てしまってから記事にすることにしようと思うのだが、そんな中やっと読んだのがこれ。

内田洋子さんはイタリアに長く住んでかの国に材をとった素晴らしいエッセイを多数発表されたうえ、ロダーリなどの翻訳でも活躍されている。そのお仕事ぶりから須賀敦子さんの再来のように思う。そんな内田さんが、かつてイタリアから行商して欧州全土に本を届けたというモンテレッジォという小さな村を取材して書いた一冊。

なにかこう、商売とはこうあるべきだよなあと思わせる一冊。

実は次女がこの8月からドイツの、以前にも住んでいたニュルンベルクに渡って、そこの地元のパン屋さんで働いている。そのパン屋さんは個人経営でありながら店主と見習いを含めて職人が7人、売り子が奥さんと娘ともう一人いるのだそうだ。要するに個人経営のパン屋さんに10人が働いているわけで、ご主人夫婦を除いて8人の従業員がいるということになる。これって日本ではありえないのではないだろうか。ドイツのパン屋さんが毎日どのくらい売り上げるのかよくわからないが、日本で個人経営のお店で8人の従業員を雇うというのはちょっと考えられない。職人は年齢も様々で、みな働きながらパン作りをじっくり学んでマイスターになるのを目指している。日本にはそういうことをしている業界はほとんどないのではないだろうか。今の日本では職人は育たない。育てる場所がないからだ。

物を作る業界だけの話ではない。ただ物を売るだけの本屋さんでも同じだ。日本には本のセレクトショップというものはほとんどない。問屋から送ってきた本を並べて、売れなければ返品する、ただそれだけのシステムになってしまっている。いや本屋さんばかりではない。日本ではありとあらゆるお店で、お客さん一人一人の好みに合わせたものを紹介するなどもはやほとんどありえない。私の会社がまさにそうなのだが、売りたくもないような商品を、ただ会社が儲かるからという理由で売らされてばかりなのではないだろうか。そんな会社でプロと呼べるような販売員など育つわけがない。

商売というのは人と人の繋がりだ。お客さんの好みを推し量って、この商品、あの人なら好きなんじゃないかなと考える、そういう人と人の繋がりが必要ないと店側が思っているのなら、そんな店で買う必要性がない。AMAZONで買えばよい。読みながらそういうことばかり考えた、そんな一冊だった。

ちなみにこの本はリアル本屋さんで買いました。

川端裕人 青い海の宇宙港

種子島がモデルの島、「多根島」に宇宙遊学生としてやって来た小学6年生の駆。虫とか自然が大好きであまり宇宙には興味がなかった駆だったが、宇宙オタクの周太、フランス人ハーフの萌奈美、地元の委員長タイプの希実の四人で作った「宇宙探検隊」のメンバーとしてロケット作りに関わることになるが...という物語。

小学生の話に、本当は技術の仕事がしたいのに後方に回されて挫折中の宇宙港職員はじめ島の皆さんを巻き込んで行く。ジュブナイル的な作品だが、結構実際のロケットの技術的なことや宇宙開発というお仕事についての記述も多く、最後のほうで打ち上げるロケット・宇宙船の設定などとても正確で、ある意味ハードSFでもある。そこに島独特の空気感と、小学生あるあるな要素も含めて普通に楽しく読めて読む人を選ばないと思う。作品の構成も見事にできていて、特に周太が途中一旦離脱して、復帰してからの物語を動かす原動力になるところなどはお見事である。

島の歴史や風土が宇宙へと繋がっていくのは見事。宇宙のことを語るのにしっかり両足が地についているところが本当に素晴らしい。 

川端裕人さんの作品は以前「川の名前」という作品を読んでとても感心したのだが、これはそれを軽く超えた。ぜひ読んでほしい作品だ。今のところ今年のベストワン候補ナンバーワンかな。

HALO

U-NEXTで配信中の、ゲームソフトが原作のSFドラマ。U-NEXTの無料期間を利用して観た。第1シーズン全9話。

宇宙に進出した人類はコヴナントという異星人と戦争状態に。科学力で勝るコヴナントに対し、人類は戦闘に特化した人間であるスパルタンを前線に投入して対抗していた。ある日、人類の政府に対し独立運動をしている惑星マドリガルにコヴナント軍が侵攻、スパルタンの活躍でコヴナントを退けるが、スパルタンのリーダー、マスターチーフのジョンは、そこでコヴナントが謎の物体を発掘しようとしていたことを知る。

…という風に始まったこの作品はスパルタンの生みの親ハルゼイ博士やマドリガルの少女クワン・ハ、コヴナントに育てられた女性マキーなど多彩な登場人物が登場して人類とコヴナントが謎の物体「遺物」を奪いあう物語が展開する。

正直第1話冒頭の戦闘シーンはすごかったが、その後地味な展開で正直あまり面白くなく、途中で見るのやめようかと何度か思ったほど。特に前半は物語の背景の説明みたいな内容が多くてイライラ。特にクワン・ハのエピソードは必要だったのか。多分彼女らが守る井戸みたいな「ゲート」がHALOに繋がってるとか、のちのシーズンで話が絡んでくるとは思うんだけど…クワン・ハがブス(失礼)なのも見ててつらい(笑)。AIアシスタントのコルタナのキャラも安っぽいCGでなんだかな。ちなみに、Windowsの音声アシスタントのコルタナってこれが語源なのだろうか?

スパルタンの強化アーマーのデザインがいかにも米軍が強化アーマースーツ作ったらこうなりそうなデザインでひねりがなさすぎなのも気になった。同じような強化アーマーでもSWのボバ・フェットやマンダロリアンのデザインって個性的で見事なんだなあと改めて思った。

最後の2話で立場がヤバくなったハルゼイがブチ切れてからが急激に面白くなったのでそこまではちょっと我慢して観よう。ハルゼイがコードを送るとスパルタンが反乱を起こすところはSWエピソード3の「オーダー66」を思い出した。

全体には楽しく観れたけど、第2シーズンはもう見なくてもいいかな。ってU-NEXT高すぎるし、ここでしか観れないような魅力的なコンテンツもないし、無料期間が終わったら解約します。

SFだからというわけではなくて、おかしなところがいくつかある。まず第1話で、なぜスパルタンはあのタイミングでマドリガルにやってきたのか。重要な資源があるとはいえ独立運動で敵対しているはずのマドリガルの危機をあれほど迅速に救いに来るのは筋が通らない。さらに感情抑制されてロボット同然だったマスターチーフが、唯一生き残ったクワン・ハを命令に逆らってまでなぜ助けたのか全く理解できない。

コヴナントの兵器の直撃を受けると、他の兵士は一撃でバラバラ死体になっちゃうのに、スパルタンの装備はダメージを受けない。いやその装備一般兵にも支給しろよ。

梅津時比古 冬の旅‐24の象徴の森へ-

ヴィルヘルム・ミュラーの詩にフランツ・シューベルトが作曲した連作歌曲集「冬の旅」は音楽史に燦然と輝く名作だ。24曲、ぶっ続けで聴いて1時間10分程度の大曲であるが、愛する人に捨てられ真冬の寒空の下あてもなくさまよう青年の絶望を24曲を通じて描いた恐るべき作品である。私はこの歌曲集が好きで、かなりの数の音源を持っているが、本書はその「冬の旅」を歌詞と音楽の両面から詳細に解説したもの。各曲を1曲づつ歌詞対訳を掲げ細かく述べてゆくスタイルで書いてある。

とにかく読めば読むほど目からうろこが落ちまくる。例えば第1曲「Gute Nacht」。当然日本語に訳せば「おやすみ」となるのだが、ドイツでの「Gute Nacht」には「おやすみ」の意味以外にも「最低」「破滅」といった否定的な意味で使われることが普通なのだそうで、そう考えるとこの曲で主人公が書き残した「Gute Nacht」には「おやすみ」というだけではない意味が含まれていたのかもしれないということになる。

有名な第5曲「Der Lindenbaum」にしても、厳冬の真冬のドイツの夜に樹の下で眠るということは即、死を意味するわけで、この曲はドイツでの家庭的な愛の象徴である菩提樹が、傷ついた主人公を甘い夢の中での死を誘っているわけである。言われてみれば当然そう解釈するべきなのだ。

そういった歌詞の内容の細かい読みと、そこにシューベルトがどんな音楽を乗せているか、あるいはシューベルトが施した一部の歌詞の変更の意図についても詳細に述べてあり大変読みごたえがある。

そして全体として、この連作詩には、当時のドイツ社会への批判の要素がかなり含まれているのではないかというのが著者の主張で、確かにミュラーの詩にはそういう風に読めるところが多いとは思う。というわけで大変興味深く読んだ。著者は最近「水車屋の美しい娘」の解説本も出したらしい。そっちもぜひ読みたい。

ただ気に入らないのは巻末の著者自身による録音の聴き比べ「『冬の旅』CDの旅」というコーナー。数十種の録音を聴いた私が双璧と思っているクヴァストホフ盤とシュライヤー・リヒテル盤がどちらも評価低いのが全く理解できない。あの極めてドラマティックな表現のクヴァストホフ盤が、そのドラマティックさががゆえに苦手と言うならわかるが、一本調子に聞こえるなんてどうかしてると思う。

Star Trek : Strange New Worlds 第9話、第10話

第9話「All Those Who Wander」直訳すると「すべてのさまよう人々」。タイトル的には「さまよい人たち」というところか。

士官候補生のウフーラら3名は一旦任務を解かれ地球に戻ることになるが、その前に行方不明になったUSSペレグリンを発見したエンタープライズペレグリン艦内で異星人バックリーと少女オリアナの二人の生存者を発見するが、バックリーはゴーンの幼体に寄生されていた。ゴーンに仲間を次々に殺害されるなか、ヘマーはゴーンを倒すために一計を案じる。

第4話で登場したものの宇宙船だけだったゴーンが再登場、今回はちゃんと姿も見せる。今回明らかになったのはゴーンの生態が「エイリアン」もどきだったということ。寄生した幼体が宿主の体を突き破って生まれてきて、しかも生まれた個体が殺しあって生き残った者だけが育つのだ。しかしTOSで描かれた鈍重なゴーンとは全くの別物。これで第4話で描かれたように高度な技術も持っているのだからクリンゴンやロミュランなんかよりはるかに厄介な敵になりそうな気がする。

それにしても今回でヘマーとラ・アンが退場することになった。ウフーラもエンタープライズを一旦去るのでは、メンバーがごそっと変わっちゃうなあ…ってそれもTOSのメンバーに新陳代謝していく布石なのか?

 

第10話(シーズン最終回)「A Quality of Mercy」「慈悲の質」みたいな意味。そのままでは日本語のタイトルにはしにくい。

パイクは偶然に彼が将来自分自身を犠牲にして助けることになる士官候補生の少年に会い、彼に事故を起こさないで済むようメッセージを送ろうとするが、そこに事故が起こらなかった未来のパイクがタイムクリスタルを持って現れる。パイクはタイムクリスタルを使って自分が事故を回避した後の、7年後の未来に飛ぶが、そこでロミュランが中立地帯を超えて宇宙基地を攻撃するという事件が発生、全面戦争の危機を迎える。

これはTOSのエピソード「宇宙基地SOS」をセリフまで再現して完全に取り込んである。パイクがエンタープライズの船長を継続して務めているので、エンタープライズのメンバーがSNWのメンバーがメイン(ただし技術主任が誰なのかははっきりしない)。同じセリフを使いながら違う展開にはまり込んでいくかなり高度なシナリオだ。未来のパイクが映画シリーズでカークたちが着ていた制服を着ているのも良い。そしてこのエピソードでジェームス・カークがUSSファラガットの船長としてついに登場。しかしこのカーク、どう見てもジム・キャリーなんだけど…

そしてラスト、ナンバーワンがイリュリア人であり、連邦が禁じている遺伝子操作を受けていることを理由に逮捕されてしまうところで第1シーズンは終わり。うわー次早く観たい…って来年かなあ。てかそもそもその頃には日本でも普通に観れるようになってるのかなあ。

Star Trek : Strange New Worlds 第7話、第8話

第7話「Serene Squall」。
エンタープライズは海賊に襲われたコロニーにドクター・アスペンの水先案内で訪れ、海賊船Serene Squallを発見、制圧に向かうが逆にエンタープライズを占拠されてしまう。スポックとチャペルは最後まで抵抗するが捕まってしまい、海賊の頭エンジェルはスポックを人質にして彼女の夫の解放を要求してバルカンと交渉する…

チャペルが大活躍の回。なんとついにあの人とのキスシーンまで‼三角関係に発展するのか⁉ 海賊につかまったパイクが逆に海賊船を奪う(?)手段も面白い。

そしてラスト、ディスカバリーでもすっかり忘れられて…もとい存在が消えていたあの人の名前が!う~んネタバレしたいがここは我慢。彼の今後の登場はあるのかな。
前回ほんのチョイ役ながら再登場したカーク兄だが、今回も出番なし。いつか彼にスポットが当たる日はあるのだろうか。 

 

第8話「The Elysian Kingdom」。
第3話で明らかになったように、Dr.ムベンガの娘ルキアはCygnokemiaという難病に冒されていて、治療法を見つけるまで転送機のバッファに入れてある。そんなルキアにムベンガがいつも読んで聞かせていたのが「The Kingdom of Elysian」という本。エリジアンという架空の王国を舞台にした子供向けのファンタジー小説だ。物語の展開に不満を持つルキアに、ムベンガは「大きくなったら自分のお話を書くといい」と諭す。その折も折、ジョニシア星雲を調査中のエンタープライズは突然航行不能に。負傷者が出たのでムベンガがブリッジに呼ばれるが、ブリッジを訪れたムベンガは自分を含む全員が突然コスプレをして「The Kingdom of Elysian」を演じていることに気づく。

卑屈なキャラになり下がったパイク、にやにや笑う魔法使いのスポック、悪の女王になり切ったウフーラ、タガの外れた姫君のラ・アンなどどれも見もの。エンタープライズ艦内に中世の装飾を施して悪ノリが過ぎるコメディ回と思いきや意外とシリアスな結末を迎える。
ちなみに「The Kingdom of Elysian」は実在しない本。「Cygnokemia」という病気も実在のものではないが、23世紀でも治療不能な病気として病名を白血病(Leukemia)をもじったものにしたのだろう。
ジョニシア星雲が知能を持つボルツマン脳のような存在で、それがまるでソラリスの海のように人類に干渉しているというハードSF的な展開と悪ふざけ的なコスプレ大会が混然となったカオス回。非常に面白かった。

そろそろ英語で見るのも慣れてきた笑笑

三秋縋 君の話

2018年に単行本で出た時少し気になったのだのが、なかなか買う気にはなれずにいたらいつのまにか文庫化されていたので購入して読んでみた。

記憶を自由に操作できる世界。そんな世界で無為な人生を送ってきた主人公の青年千尋はある日なにもいいことがなかった少年時代の記憶を消すことにするが、誤って存在しない幼馴染、灯花の記憶を植え付けられてしまう。不本意ではありながらその甘い記憶を消せずにためらっていたある日、存在しないはずの灯花が目の前に現れる…

この三秋縋という作家は全く知らないが、これはとにかく非常に村上春樹的な作品。語り口といい主人公の孤独ぶりや先輩のスーパーマンぶりなど、様々な要素で村上春樹の作品を連想させる。私は村上春樹は大嫌いで数作しか読んでいないのだが、それでもこの作品と「ノルウェイの森」の共通点をいくつか挙げることができる。だが、そんなアンチハルキストの私がこれをすんなり読めたのは、村上春樹にありがちな「傲慢な主人公」「無意味なセックス描写」「やたらに音楽・芸術について蘊蓄を垂れる」などのマイナスポイントがないからだと思う。

というわけで非常に面白く読んだ。主人公が無気力な青年のはずなのにどことなくアクティブなのがちょっと気になるが、変わった設定の青春小説としてはかなりいい線行ってると思う。途中(B面)から灯花の目線になって謎解きが展開する仕掛けなどなかなか巧みに書かれていて感心した。SFとしての仕掛けは「ナノマシンを使用することで記憶を自由に操作できる」の一点につきるのだが、この技術が新型アルツハイマー病の治療研究から生み出されたという設定もなかなかリアルで、その不治の病である新型アルツハイマーにヒロインが冒されているというのは、最近の小説や映画の世界でよくあるパターンだが、「君の膵臓を食べたい」あたりの、何の病気やらよくわからないのよりはずっとリアルな話に思える。

しかし、SFとしては物足りない。記憶を操作できる技術が普通にある世界に対する考察が足りない。記憶を自由に消したり、事実でない記憶(作中では「義憶」と呼ぶ)を追加できたりするのなら、犯罪捜査など不可能になってしまうし、作中にあったように主人公の母が主人公の記憶を消去してしまったとしても、母親である以上息子に対する義務や権利は残るわけで、そういうことを考えていくと、この技術を(医療などの目的以外で)用いるのは相当社会的な影響が大きく、一般的な実用化はためらわれることになると思われる。その辺りをクリアして普通に使われた場合は、義憶を買うことで知識や技術も強化できるはずで、それなら学校などに通う必要もなくなりそうだ。そのあたりの考察がいまいち物足らない。そこが先日読んだ伴名練「ひかりよりも速く、ゆるやかに」などに及ばないと思ってしまう。

それとなぜ日本の小説ってこんなにウエットなんだろう。読みやすいのはいいがなんだが湿っぽくて、特に今の季節には良くない。